第一章 何が日本人を世界一の金持ちにしたか
       労働がすべての富の源泉であることを日本人が改めて立証した


労働こそ富の生みの親であると指摘したスミスとマルクス

今からおよそ二百年あまり前、アダム・スミスはアメリカという新大陸にあるイギリスの植民地の経済的な発展と繁栄を横目で睨みながら、『国富論』という本を書いた。その本の冒頭でスミスは、「一国民の年々の労働は、年々消費される生活に必要な必需品と、これがあれば便利だというサービスを提供する源泉であり、これらの必需品やサービスは常に労働の産物であるか、でなければ、その産物を売って他の国民から仕入れた物である」と述べている。ややまどろっこしい言い回しであるが、要するに、「あらゆる富のつくり手は人間であり、人間の労働によって生活に必要な富がつくられる」という認識からスミスの経済学はスタートしたのである。
こんなこと常識じゃないか、と今の私たちなら思うかもしれない。ところが、十八世紀の人々は、「労働が富だ」とは思っていなかった。金銀、金銀貨、および宝石などの財宝は、いつでも、どこででも、必要な物を手に入れるために使えたので、富といえば、金銀財宝のことだと考えていた。スペイン人やポルトガル人が末知の国に到着すると、「金山はあるか。銀はどのくらい産出するか」ときいて、もし金や銀がないとわかれば、そこは避けて通ったそうである。
そうした十八世紀の常識に対して、労働力があらゆる価値の源泉であり、金貨でワインが買えるなら、ワインで金貨を買うこともできるじゃないか、と指摘したのはほかならぬスミスである。
それからさらに百年たって、カール・マルクスがロンドンの貧民窟を覗いて、朝から晩まで働いても一向に貧困から抜け出すことができない労働者と、その雇主である資本家の豊かな生活ぶりを頭のなかで対比させながら、『資本論』という本を書いた。マルクスは経済の仕組みを客観的に追究するよりも、虐げられた底辺の人々に対する同情と義憤で頭がいっぱいだったために、経済社会を搾取者と被搾取者に分けて説明することに我を忘れ、それを科学的に証明する手段として気が遠くなるほど執拗な態度で尨大な叙述をした。余剰価値とか、資本の蓄積とか、マルクス独特の表現を駆使して、資本家の罪深さをあばこうとした。スミスの労働価値説を、もっとずっと狭義に限定し、すべての富は労働によってではなく、労働時間によってつくり出されるものであると主張したのである。
アメリカの経済発展と諸国間の貿易を観察して生み出された「理論」と、ロンドンの貧民窟を頭に浮かべて構成された「思想」のあいだには、これといった共通点はない。強いていえば、共に人間の労働を重視し、「労働こそ富の本当の生みの親である」ことを両者とも認識していたことであろうか。
このことはさらに百年たって、二十世紀の後半、偶然のことながら、東京に住みついて、敗戦の焼け跡のなかから日本人が裸一員で頑張って、ついに世界一の金持ちになっていく過程をまのあたりに見てきた私に、大きなヒントをあたえてくれた。戦前の日本は資源に恵まれない代表的な資源貧乏国であった。そのころの日本人は、資源の豊かさが一国の富を決定すると信じていた。だから、資源のある地域を狙って植民地争奪戦の先頭に立った。いささかやりすぎたこともあって、世界的スケールの戦争に突入し、その結果、すべての植民地を失って元の四つの島に九〇〇〇万の人口がとじ込められるという有史以来のピンチにおちいった。

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2011年10月16日(日)更新
- このコラムは連載終了いたしました -


 目次

 
解説
まえがき

第一章 何が日本人を世界一の金持ちにしたか
      労働がすべての富の源泉であることを日本人が改めて立証した

 
労働こそ富の生みの親であると指摘したスミスとマルクス
戦後日本では、付加価値の大きな部分が労働者に分配されてきた

      加工業でメシを食う以外に選択の余地がなかった

 
あと百年は復興できないとさえ思えた敗戦直後の日本の状態
戦後十年たって、貿易立国で新たな道を模索しはじめた

      やや過激な労働運動が日本を金持ちの国へと導いた

 
労働運動が象徴していた日本の自由さ
日本は実質上、「労働者の国」になった

      工業化が日本人に金儲けのチャンスをもたらし、社会を一変させた

 
もし日本が農業社会にとどまっていたら金持ち国にはなれなかった
工業化は日本人を金持ちにしたと同時に、新しく貧富の差もつけた

      国内に資源のなかったことが工業を発展させた原動力

 
日本が工業的に成功した諸条件
日本に資源がなかったこととアメリカからの技術導入が成功の大要因

      アメリカという金持ち国の貧乏人が日本人の救世主

 
昭和二十〜三十年代、アメリカ製品は日本人のあこがれの的だった
日本人のつくる安物はどこに売れたのか

      一億人の国内市場は輸出産業のための絶好の練兵場

 
国内市場で新製品輸出のための市場調査ができた
短期間で輸出産業を育てた秘密

      資源がなければ買えばよい、資本がなければつくり出せ

 
資源も資本も、豊かになるための絶対条件ではない
資源がなかったからこそ付加価値の鉱脈を掘り当てられた

第二章 繁栄の構造は借金コンクリート
       
借金コンクリートの上に築かれた日本経営

 
三十年前の日本人の働きぶりに将来の体質が見えた
借金による資金調達のほうが楽な理由

      借金経営だから減価償却不足は起らない

 
金本位制から紙幣発行による紙本位制の経済へ
紙本位制のもとでは必然のインフレが借りた側に有利に働く
銀行はいつの時代でも、体制の支持者である
日本に繁栄をもたらしたのは事業家である

      花見酒の土地ブームが倒産を巧みに回避させる

 
お金の貸し手と借り手を安心させる担保物件が土地
土地のキャッチボールをしながら生産を拡大していく日本経済のシステム

      模倣も徹底すれば、独創の境地に達する

 
戦後日本にとって、すべてのモデルはアメリカであった
真似をしてきた日本がいつの問にか独自の水準を築きあげてしまった

      会社の利益を優先させる見事なチーム・ワーク

 
日本の会社は一種の精神団体である
日本の会社のチーム・ワークが今日の繁栄をもたらした

      年功序列や終身雇用より大切なものがある

 
年功序列給や終身雇用制は企業にとってプラスが多い
チームを組んで事にあたるという共同体意識が先にある
豊かになれば、借金と財テクが盛んになる
企業も人も借金と財テクに走る

第三章 日本人が工業で成功した秘密
      工業人口の増加は金持ちへの約束手形

 
農業で食べられないことが日本を工業化へ向わせた
農民が減った分だけ日本人は金持ちになった

      工業化は人口密度と貧富に新しい地域差をもたらした

 
工業化は全国を過密地帯と過疎地帯にニ分した
メシの食える地域とメシの食えない地域

      企業への帰属意識が技術蓄積を可能にする

 
完成品をつくるとき、最終的には「人間」の質の問題になる
会社への帰属意識が可能にしている合理主義で割り切れないこと 2

      親分と子分、親会社と子会社、どれもみな親子の延長

 
日本の雇用は、もともと家族の延長線上に築かれた
社長の地位は神輿の上のご神体

      ピラミッド型柔構造で変化に即応

 
下請けの系列化に力を入れる日本企業
下請け企業群を抱えこむことのメリット

      売れる商品がよい商品であるという不動の信念

 
戦後「輸出立国」のもとで安さで売れる商品を
お客本位の心遣いで、売れる商品開発を追求

      儲かる経営は品質管理とコストダウンの徹底から

 
長期展望のもとで品質管理とコストダウンに惜しまず投資
日本人の富の源泉はエ業の生産過程から

      製品輸出依存型から生産手段輸出型への大転換

 
生産者的発想ではドル安円高の根本間題は解決しない
生産基地の海外移動は、他国への富の分配をもたらす

第四章 日本の流通業が世界を流通革命する
      米の自由化で明るみに出た日本経済の仕組み

 
日本の保護政策は産業界を代表する業界では大成功をおさめた
米の自由化論争は日本人の思想をハダカにする

      生産者があって「消費者不在」の経済政策

 
日本は外国では自由貿易のス口ーガンに同調、国内では保護貿易に徹してきた
収穫が最優先の農耕民族の体質が問題

      草食動物の腸に似た長い長い流通経路

 
長蛇の列をなす問屋の数々
日本の流通機構は価格変動に対するショック・アブソーバー

      商社は日本の生んだ「国際問屋」

 
商社は日本独特の問屋制度が世界的スケールにジャンボ化したもの
商社は世界貿易で今後も独自の役割をはたす

      日本人の発明した「小売店の傑作」はデパート

 
高級イメージを保ち続ける日本のデパート
デパートと問屋のマージンはなぜ高いのか

      スーパーに見る流通革命と反革命

 
安売り屋とメー力ーの直結から日本の流通革命ははじまった
「問屋無用論」のスーパーが「問屋有用論」に戻った理由

      非関税障壁の最たるものは価格に鈍感な消費者

 
何が日本の流通システムに動脈硬化をもたらしたのか
物を安く手に入れることに不熱心な日本人

      日本の大型店が東南アジアで流通革命の真っ最中

 
第301条が日本の物流に対する考え方を改善するきっかけになる
日本の流通業が国際競争力を持つようになった理由

■邱 永漢 (きゅう・えいかん)
1924年台湾・台南市生まれ。1945年東京大学経済学部卒業。小説『香港』にて第34回直木賞受賞。以来、作家・経済評論家、経営コンサルタントとして幅広く活動。現在も年間120回飛行機に乗って、東京・台北・北京・上海・成都を飛び回る超多忙な日々を送る。著書は『食は広州に在り』『中国人の思想構造』(共に中央公論新社)をはじめ、約400冊にのぼる。(詳しくは、Qさんライブラリーへ

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