「問屋無用論」のスーパーが「問屋有用論」に戻った理由
スーパーの急激な発展ぶりを見る限りでは、私が「日本の国に消費者は不在」と言っても、同調してもらえないかもしれない。しかし、日本の消費者が一般に価格に鈍感なことはあきれるばかりで、あちこちにスーパーができて、スーパーで食料品を買ったほうが少なくとも二割は安いことがはっきりしているのに、「ご近所にスーパーがあるのをご存じですか」「スーパーの商品は商店街の小売店より安いことをご存じですか」「あなたはスーパーで買い物をしていますか」とアンケートをとってみると、長いあいだスーパーの存在すら知らない人が多かったのである。私は日本の主婦たちが物を安く買うことにほとんど関心を持たず、またそのための知識をほとんど持ちあわせていないことに改めて驚かされたものである。にもかかわらず、スーパーが急速に全国を制覇し、それなりの勢力地図をつくりあげることができたのは、次の理由によるものと思われる。
(一)時問がたつにつれて、スーパーのほうが安く物が手に入ることがお客に徹底した。スーパーの経営者も物を安く売ることに力を入れ、当初は流通経路を省略することによってそれを実現したのである。ただし、お客がスーパーを利用する度合いがふえるにしたがって、スーパーの経営者たちも、消費者の味方をするよりも利益をあげることに重点をおくようになったから、物によっては必ずしも安いとは言えないようなっている。
(二)欲しい物を探すために、商店街の中や市場の中をうろうろ歩きまわらなくとも、大型店の中でワン・ストップ・ショッピングをすることができる。それだけの品揃えができているということもあるが、郊外型スーパーになると、広い駐車場があって、車をとめて店の中に入っただけで必要なものの大半を手に入れることができる。
(三)そういう点では、デパートも同じであるが、デパートが賛沢品を中心にした商品構成であるのに対して、スーパーはあくまでも実用品中心であり、日々の生活に必要な食料品や日用品をデパートより安い値段で提供しているから、デパートと商店街の双方からお客を奪い取ることに成功した。
(四)流通革命の進行するプロセスには、たまたま日本経済の高度成長があり、人手不足の深刻化と所得水準の向上が同時に起っている。たとえばもし商店街や町の電気屋が人手不足におちいって店員を雇うことが困難になり、サービスも行き届かなくなるとか、あるいは、流通業で働いていた人々が次々と生産工場に吸収され、高賃金で雇ってもらえるとかいった現象が同時に進行していなかったら、スーパーや電気製品の量販店は、流通業界にたてこもる労働者たちの抵抗にあって、とても今日のような発展はできなかったに違いない。
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