まえがき
ようやく『付加価値論 Part2』をお届けできるようになった。
Part1が上梓されてからちょうど一年、前回と同じく「Voiceビジネス特集」に三ヶ月に一回ずつ四回に分けて連載をしたが、今回は原稿用紙を旅行先まで持ち歩き、第五章は海南島、桂林、広州など華南の各地で、第六章はバルセロナ、グラナダ、マドリッド、ボルドー、ロンドン、パリなどヨーロッパの各都市を歩きまわっている時に、第七章は台北、デンパサル、ジャカルタ、バンコクと再び東南アジアで、そして、最後の第八章はセブ、マニラ、香港から東京と転々としながら執筆した。国際化の時代とはいいながら、よくもこれだけ一年間に動きまわりながら書いたものである。
特に第六章の「お金が国境を破壊する」は八○枚のうち三九枚まで書いた原稿をマドリッドのリッツ・ホテルに置き忘れ、ボルドーに向う飛行機の中で気がついた。革製のバッグに入れたまま机の上に置いてきたので、もしかして捨てられたら、もう一度初めから書きなおさなければならないのではないかとげんなりしてしまった。ボルドーから電話をかけ、翌日、ミッシュル・ゲラルドのレストランに出かける前に「あった」という知らせを受けるまで、あとを続ける気がしなかった。ロンドンからパリに戻るとクリヨンのホテルに速達がついていたので、大急ぎで小包をひらくと、書いた原稿はあったが、それを入れてあった革製のバッグは失敬されていた。あれは死んだ若い友人の品田孝悦君が小生のために自分で設計してつくってくれたもので、表と裏の上と下にチャックが着いており、四つのポケットがそれぞれ紙入れになった素晴らしいデザインのものである。私にとってはセンチメンタル・バリューのあるバッグだったが、原稿をもう一度初めから書きなおさないですんだだけでも有難いと言わなければならないのかも知れない。
今私は旅先でやっと校正を終えて、シャトルのすぐお隣りのべルヴイユ市という町のハイヤット・リーゼンシイで、このまえがきを書いている。時差で目がさめてから書き出したのだが、現地時間は夜中の三時半、もう一つの時計を見ると、日本時間で午後七時半である。なるほどこれでは眠くはならないはずだ。「付加価値論」は二十世紀の後半に、アジアの東に位置した資源も資本もない貧乏小国日本が世界一の金持ち国になって行くのを目のあたりにみて、その「成功の秘密」を私なりに分析解説する気を起して書き始めたものである。 Part1 では、主として日本が工業に成功した経過にふれたが、この Part2では、日本のサービス業、お金の動き、労働資源の開発、そして、日本の役所の果たしてきた役割を取りあげた。過去にこういう切り口で「経済原論」を執筆した人はいないと思うが、これは私の独創というよりは、ヒト、モノ、カネが世界を狭しと動きまわるようになった国際化時代の社会現象、経済現象を取りあげて行けば、自然にこうなるということであろう。自分の書いた物を読者がどう評価するかは著者の私が口をさしはさむことではないが、私自身としては「日本人がなぜ世界一の金持ちになったか」「金持ちになった日本人はこれから何をなすべきか」を私なりに分析したつもりである。特に、将来、「日本を研究したいと考える世界中の人々の日本を理解する手引書となれば」というひそかな願いをこめて書いた。はたしてその目的を達せられたかどうか。日本の文化を知りたければ、日本の経済の仕組みをよく知る必要がある。同じように、日本の経済の発展してきた秘密を知りたかったら、日本人の伝統的な思想や生活意識を知る必要があろう。私にとってはこの上下二巻は私の経済原論であると同時に、
日本及び日本人に対する文明批評でもある。
世界中の人々が学ぶべきことがこの中に一杯詰まっていると私は考えている。

一九八九年十一月吉日
ワシントン州べルヴイユの宿にて
邱永漢

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2012年5月26日(土)更新
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 目次

 
Part1はこちらから
まえがき

第五章 サービス先進国日本の世界戦略
      茶道にみるサービス業の地位と水準

 
メイド・イン・ジャパンの商品を支える日本人のサービス精神
日本は農業国の時代からサービス先進国だった

      日本的サービスの象徴は料亭の仲居さん

 
日本のサービス業の水準が一昌い背景には「心の文化」がある
日本人のサービス精神は世界の人々に知られていない部分

      外国におとした金をまた丹念に拾って帰る

 
日本人の鎖国思想が間われる航空運賃の問題
日本のサービス業が世界各地で成功するのは難しくない

      ドルの衰弱で、日本の金融機関の出番

 
金本位制からの離脱は経済が発展した結果
「双子の赤字」もし国防費を増税で賄えば

      お金は東京に集まり、そこからまた出て行く

 
アメリカ経済が日本人によって動かされる時代になる
お金は一定のところに定着せず、儲かりそうなところへ動く

      金持ちになったことが、日本人を日本から追放する

 
日本の銀行は事業家の尻馬に乗って海外進出をした
銀行のお金はいつも決まった道をとおっている

      海外で生き残るノウハウづくりが次の課題

 
外国で成功する日本の流通業は「非のうちどころのないサービス」
これからの日本人は全世界の人々に対して奉仕する立場におかれる

第六章 お金が国境を破壊する
      通貨のカラクリは金本位も紙本位も同じ

 
お金が世界中を駆けまわるようになって昔の経済学は崩壊した
紙本位が富める国に新たにもたらした重大なひずみ

      紙幣の乱発をしてもインフレにならないわけ

 
貨幣の発行数量だけで物価の動向を予言することはできなくなった
なぜアメリカは大赤字にもかかわらず物価が上がらないのか

      貿易の不均衡が続けば資本の大移動が始まる

 
金持ち国の貧乏人の収入が貧乏国の金持ちに劣らないようになった
多国間の為替変動は物の動きを調整せず、資本の大移動を促す

      階級闘争は終ったが、国別の等級が顕在化してきた

 
「強い通貨」を稼ぐ人たちがトクをするほうにまわる
輸出超過国の資本が貿易赤字国の産業を支配する

      国民感情が壁になって経済の発展が足踏みをする

 
現地生産は国際化時代の次のステップである
外国資本が歓迎されるのは、その国の経済活動が盛んになるから

      企業が進出先を選び、選ばれた国は豊かになる

 
国の利害と企業の利害はますます一致しない方向に向っている
低所得の国ほどエ業化に成功すれば国が急速に豊かになる

      財をなすチャンスが拡がり、ブーメラン現象が常識化する

 
海外での新しいプロジェクトは、新たな金持ちをつくる
「ブーメラン現象」を覚悟してやらなければ地球的競争では勝てない

      ドルの時代が去り、ブロック単位の自給自足体制が確立される

 
ドルの衰退によって、通貨は統一とは反対に分裂に向かう
各ブロック内に生産機構を移すことでブロック内自給自足体制でも生き残れる

第七章 世界の労働資源が日本の開発を待っている
      付加価値の追求が労働資源開発の誘い水になる

 
日本人は労働資源の開発に成功したから世界一の金持ちになった
労働の生産性のあがる分野に労働者は集中する

      人手不足が人手不足を克服する知恵を生む

 
大量生産が可能になることで生産性もあがり賃金もあがった
省エネ化とオートメ化で石油ショックを乗り切ることで日本は強くなった

      オートメ化が石油ショック後のピンチから日本を救った

 
オートメ化による逆ブーメラン現象さえ現われた
オートメ化によって生じる新たな問題もある

      労働力の生産性は高い国から低い国に転移する

 
日本の労働力の生産性の高さが先進国への工場移転を可能にした
日本国内で高賃金水準が維持できている理由

      金持ちになった日本人の果たすべき役割がある

 
日本人の財産はわずか十年間でドル建て勘定でニ十倍になった
日本に集まりすぎたお金をどう処理していくか

      日本人は消費者無視の政策に鈍感である

 
官僚の生産者重視の経済政策が消費者を犠牲にしている
自分たちが消費者であることを忘れてしまった日本人

      価格の理論は日本ではもはや通用しなくなった

 
自由競争が働かず、価格の機能がバカになっている
日本人の消費は高級化と外国でお金を使う方向へ

      資本は労働資源の未開発国に動き、労働力はその逆の方向へ動く

 
海外進出は第ニ次産業にとどまらず第三次産業で盛んになる
労働資源の未開発国は世界中にまだまだある

第八章 金持ちになった国の政府のやるべきことは何か
      国に対する考え方が変れば、国自体も変る

 
国家がどこまで国民経済に関与するかの線引きが課題になっている
付加価値の創造によって日本の社会は過去の常識で測り切れないほど変った

      再評価されてよい日本の累進課税制度

 
累進課税が日本を自由主義先進国のなかでも社会主義的色彩の強いものにした
日本を支えてきた諸制度も社会的矛盾の拡大で見栄えのしないものになってきた

      分配より生産が優先することが立証された

 
日本の企業は株主の所有を離れた「天下の公器」
工業化は富の分配を平均化する

      日本の役所は産業界の教育ママからなかなか卒業できない

 
税金の無駄遣いが避けられない日本の役所のシステム
これ以上の増税ができないところで登場した消費税

     成熟社会のお役所は消費者の利益を守るのが仕事

 
生産者の立場に立った保護主義一点張りの行政指導はもはや時代遅れ
消費者無視の役人の頭をいかにして切り替えさせるか

     税金は痛い思いをさせないでとる配慮が必要

 
現時点で消費税を強行実施した狙いは赤字財政の埋め合せ
税金を取り立てる前に、予算を削る方法を考えるのが先決

     軍事力を背景にしない一等国こそ先進国

 
日本はすでに米ソに次ぐ第三位の軍事大国
軍事費のために多くの予算をさくことは時代錯誤になりつつある

     「援助の哲学」は、教えることで、くれてやることではない

 
世界中が債権国と債務国にニ分されるようになった
援助は原則にのっとって紐つきですべき
あとがき

■邱 永漢 (きゅう・えいかん)
1924年台湾・台南市生まれ。1945年東京大学経済学部卒業。小説『香港』にて第34回直木賞受賞。以来、作家・経済評論家、経営コンサルタントとして幅広く活動。現在も年間120回飛行機に乗って、東京・台北・北京・上海・成都を飛び回る超多忙な日々を送る。著書は『食は広州に在り』『中国人の思想構造』(共に中央公論新社)をはじめ、約400冊にのぼる。(詳しくは、Qさんライブラリーへ

中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」

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