紙幣の乱発をしてもインフレにならないわけ


貨幣の発行数量だけで物価の動向を予言することはできなくなった

金貨や銀貨が通貨として通用していた時代でも、インフレは常にあった。
三年とか、五年とか、ごく短期間に限って観察すれば、物価の上がることもあれば、下がることもある。好景気、不景気の繰り返しがあって、そのたびインフレになったり、デフレになったりする。しかし、十年単位、二十五年単位、
あるいは、一世紀単位で観察すると、貨幣の歴史はインフレの歴史であり、
インフレの歴史は人類の歴史とともに長いことがわかる。
これはどうしてであろうか。物の生産が一向にふえずに、お金だけ異常にふえてきたからであろうか。スペイン人やポルトガル人が金銀鉱を探し求めて世界中を走りまわり、多くの金銀をヨーロッパにもたらしたことは事実であるが、これらの国々では金銀を財宝と考えていた。だから、金銀は輸出を禁じられて、退蔵されることになった。もちろん、それを高く買ってくれる国々に密輸することは容易であったから、新しくもたらされた金銀がすべてスイスやポルトガルにとどまっていたわけではない。しかし、以前に比べてより多くの金銀が滞留したら、これらの国々でインフレが猖獗をきわめたかというと、そうでもない。世に「貨幣数量説」というのがあって、流通する通貨に流通速度をかけて、それによって物価の上げ下げを説明する。なるほど、貨幣の数量がふえれば、物価が上昇気味になることは事実だが、流通回数がふえるから物価が上がるというよりは、物価が上がるから流通回数がふえると考えたほうがより真相に近いであろう。
金銀の場合は、それ自身に地金としての価値があるから、そのまま退蔵、死蔵されることも多い。戦乱や不時に備えて大判小判を甕に入れて土の中に埋める習慣があったし、今でも銀座のような古い町で建築工事のために地面を掘ると、ときどき埋蔵金が発掘されて話題になる。ところがペーパー・マネーの時代になると、様相は一変してしまった。
紙幣はその標示価格に相当する購買力を持ってはいるが、それ自体には価値がない。
またいくら丈夫にできているといっても、金属に比べれば長持ちのできるものではないから、土の中に埋めておくこともできない。税務署の調査をおそれて
現ナマのまま金庫の中に眠らせておく人がないわけではないが、
それは明るみに出すことのできないお金に限られている。
億の単位のお金を歩道橋の側に置き忘れたり、竹薮の中に捨てたまま持ち主がついに名乗り出なかったり、あぶり出されて困惑している例もたまにはあるが、これまたヤーさんの仲間割れとか、殺人などの犯罪とかかわりのある例外的な出来事に限られている。
ペーパー・マネーになってから以後の通貨は、そのまま退蔵・死蔵しておくと利息一つ生まないだけでなく、時とともに目減りをするようになった。お金は家の中においておくと盗難にあったり、火事で消失してしまうおそれがある。それを避けようと思えば、銀行や郵便局に持っていって貯金をしておくよりほかない。たとえ人にいえないお金や税務署に知られては困るお金でも、架空名義にするとか、他人名義にするとか、あるいは、住所を変えてふだんの取引先と関係のない金融機関に預金したりする。ほとんどすべての通貨が、キャッシュ・レジスターやタンスに滞留している分を除いて、銀行に還流するので、
世間の人々がどの程度の預金を持っているか、統計的に計算できるようになった。

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