オートメ化によって生じる新たな問題もある
オートメ化が瀕死の病床に横たわった日本の産業界に起死回生のきっかけをあたえたことは、以上述べたとおりである。しかし、オートメ化ができれば何でも解決できるということでもない。オートメ化は、主として汚れ作業とか、単純労働のくりかえしになる分野で威力を発揮したが、その結果は人間がいなくとも作業を続けることができるようになり、逆に、
物ができすぎるようになってしまった。たとえば、月に一○万個もできれば間に合うパーツが月に一○○万個もできるようになると、他に売らねば過剰生産におちいってしまう。売り込む先がなければ、機械を遊ばせることになり、明らかに過剰投資とわかる失敗を引き起こすこともままあった。
パーツのようなものなら、コスト・ダウンがやれれば一応の目的を達したことになる。しかし世の中は、製品の差別化、個性化が進んでいて、消費者は隣人とのデザインやグレードの違いで商品を選ぶようになっている。自動車でも、腕時計でも、カッコや色彩が同一であることを嫌うから、人々の好みに合わせようと思えば、少量多品種の生産を要求される。そのためには大量生産では不都合な分野が続出し、オートメでは対応できなくなったし、オートメそのものが少量多品種生産に対応できる方向に改善されるようにもなった。
もう一つ、オートメ化によって、今まで予想もしなかった新しいお荷物を背負い込むということが起った。日本の会社は、大過ないかぎり、いったん入社した社員は、原則としてクビにしないという不文律がある。オートメ化がすすむにつれて、婚期が近づくと会社を辞めていく女子社員の働いていた分野は、従業員の補充をしなくてもよくなったが、男性社員で不要になった連中を、辞めさせることもできず、かといって遊ばせておくこともできず、それらの人々のために新しい仕事を会社がみつけてあげなければならなくなった。
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