多国間の為替変動は物の動きを調整せず、資本の大移動を促す

すなわち通貨にはそのお金で何がどれだけ買えるかという、ふだんお金を使うときの値打ちがあり、このほうがずっと大切なことはいうまでもないが、もう一つ対外価値という外国のお金に換えるときの値打ちというものがある。アメリカのドルはこの二十年間に日本円に対して三分の一に減価してしまったが、それでもアメリカ人が平気でいられるのは、国内物価が日本の物価上昇に比べて三倍にも上昇したわけではないからである。アメリカは広大な領土を有し、産業もよく発達していて、二億二○○○万人の人口を養っていくことには何の不自由もない。資源としての労働力の開発もずっと世界のトップを走ってきた。世界の一等国としての地位を長期にわたって維持してこられたのもそのせいである。
そうした国がどこでどう足踏みをするようになったのか。自国内における生産が海外より見劣りするようになり、アメリカ人のふだん使う日用品まで海外からの輸入にたよるようになってしまった。しかし、このことはアメリカ人の一人一人に責任のあることではない。自国製を使うより安上がりだからこそ外国から買うのであって、もし輸入品のほうが高くつくようであれば、アメリカ人はすぐにも国産品に切りかえるに違いない。それが、そうならないですんでいるのは、ドル安がいくら進行しても、依然として輸入品が安上がりだからであり、また、日本の自動車や家電製品のように、アメリカで使われているうちにアメリカ人のあいだにファンがたくさんできて、ドルで買える物ならどこの国の製品であろうと気にしない習慣が身についてしまったからである。
アメリカ人の一人一人にしてみれば、自分たちの収入の範囲内で暮している限り、健全な生活を営んでいることに変りはない。たまたま消費生活に必要なアイテムを選ぶにあたって、日本製品やNIESの製品が多く選ばれ、貿易収支の大赤字になっているが、このことに対して彼らには何の責任もない。もしあるとすれば、それは膨大な財政赤字をつくり、財政の不足分を、日本やNIESなど輸出超過国の資金で賄う過ちを少しも自覚しなかったレーガン前大統領の迂闊さに帰すべきものであろう。レーガンはスクリーンの上の「最後のカウボーイ」よろしく派手に国防費をばらまき、貿易赤字の支払いのために外国人の手に渡ったお金をそっくり借りる破目に陥ってしまった。もうできてしまったことだから、そう簡単に取り返しはつかないが、もしレーガンが「強いアメリカ」に固執する代りに、国家財政のバランスをとることに力を注いでいたら、おそらくアメリカは財政の緊縮によって国民に強制貯蓄を強いることにはなったが、短期間にこれほどの対外債務をつくらずにすんだに違いない。ドルを高値に維持することによって、アメリカの威信を保ち続けることもできたに違いない。
しかし、実際に多くのアメリカ人は、レーガンが「強いアメリカ」 を追求することを許したので、アメリカは国内的にも、対外的にも莫大な借金を抱え込むことになり、世界中の人々のみている前であっという間に「弱いアメリカ」に転落してしまった。それでもなお貿易黒字国がアメリカで投資をしている莫大な資金を一挙に引き揚げない限り、少なくとも今のところは資金のショートを来たさないですんでいるから、アメリカは信用を膨張させることによって借金の利払いを何とかやりくりすることができる。その代り日本製品やNIESの国々の製品を使う習慣が定着してしまったために、いくらドル安が進んでも輸入制限をやらない限り、貿易収支の大赤字を減らせそうにもない。となると、ドルの国際信用力はいよいよ失墜するから、ドルはさらに一段と安くなる。にもかかわらず、アメリカの借金体質が改善される見込みはいよいよなくなってしまう。

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