日本国内で高賃金水準が維持できている理由
そうはいっても、すべてが新しく経験することだから、そのたびに頭の痛いことにぶつかる。労働資源の開発がすすむにつれて、今までに考えられなかった新しい間題が次々と生じてきた。一つは労働力の生産性があがるにつれて、工業生産に従事する労働力が減少するが、その再配置をどうするかという間題であり、もう一つは開発しつくされた日本の高賃金水準をはたしてどこまで長持ちさせることができるのかという新たな問題である。一人で一○○人分の仕事が消化できるようになれば、工場には今までの人数が要らなくなってくる。同じことだが、労賃がこんなに高くなってしまったのでは、従業員をできるだけ少なくして同じ生産量もしくは、もっと多くの生産量をあげる工夫が必要になってくる。十年前の『四季報』と今の『四季報』をめくって、同じ一つの会社の従業員数と売上高を対比してみるといい。十年前に比べて従業員は同じか、ずっと減っているにもかかわらず、会社の売上高が倍にも三倍にもふえている企業は決して珍しくない。簡単にいえば、こうした一人あたりの生産性の向上が日本の産業界を繁栄に導き、日本人の一人一人の分け前をふやすことになったのである。
一時期、労賃があがりすぎれば、日本の国内は空洞化するのではないか、オートメ化がすすめば人手不足が解消して失業が増大するのではないか、と心配されたが、実際の経過をみると、それらの心配はすべて杷憂にすぎず、人手不足は一段とすすみ、最近では外国の労働力をある程度輸入しなければ、都市の機能が麻癖してしまうおそれすら出てきた。なるほどオートメ化によって労働力の節約ができるようになったが、不況のさなかにコスト・ダウンのために不必要な従業員を解雇したり、配置転換したりすると、そのあとまた景気が回復し、設備はあっても労働力不足のために受注に応じ切れないということが何回となく起っている。
次に生産事業の中には斜陽化の著しいものもあるが、新興の成長産業もある。斜陽産業では人があまるが、成長産業ではいくら人を募集してもまだ足りないということが起る。といって、造船会社で溶接工をしていた者をコンピュータ会社のプログラマーに転用することはできないが、全体として、労働力が売り手市場になっておれば、失業問題はそんなに深刻化はしない。かつて一次産業の斜陽化によって一次産業に従事していた人口が二次産業に移ったが、工場生産がほぼ飽和点に達し、しかもオートメ化によって生産効率があがるようになると、二次産業に従事していた人口は、オートメ化の困難な三次産業が吸収するようになった。オートメ化によって人が要らなくなったら、人手があまるようになるどころか、人手不足はいよいよ深刻になっている。たとえば、小売店もデパートやスーパーも店を早く閉めるようになったので、日用品を買うのに不便する人のために、終夜営業の店もできたし、自動販売機も普及した。流通業にもサービス業にも、オートメ化はすすんでいるが、二十四時間営業の店で真夜中に働く人を採るのは容易ではない。また、自動販売機の商品の補充をしたり、集金をしたりする人材を定着させることはもっと難しい。労働力の不足する国で、人手不足をどう解消するかは、最大の焦点となっ
ている。
このことは、日本の国に突如、労働力の売り手がいなくなってしまったということではない。
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