成熟社会のお役所は消費者の利益を守るのが仕事
生産者の立場に立った保護主義一点張りの行政指導はもはや時代遅れ
日本経済の躍進ぶりが欧米人に知られ始めたころ、日本人はエコノミック・アニマルと言われた。そう言われたことを日本のジャーナリズムがとりあげて盛んにハヤシ立てたので、日本人の中にも「もしかしたら自分たちはエコノミック・アニマルかもしれない」と思い込んだ人があったかもしれない。日本の会社員が仕事熱心で、会社の製品の売り込みのために夜討ち朝駆けをする姿は、欧米の人たちの目にエコノミック・アニマル
と映ったことだろう。しかし、日本人の行動基準は、死物狂いになって働くことではなくて、グループで行動することであり、それもなるべく一人の落ち込みも脱落もないように助け合って行動することである。だから、どうしてもアニマルという言葉を使わないと承知できないなら”グループ・アニマル”とでも言ったほうが似合っているのではないかと思う。
日本人の活動の基地になっている「会社」の中における行動基準も、もちろん集団の利益を優先させた利益追求であるが、集団の利益の中にはメンバーの一人一人を置き去りにしないという不文律が含まれている。だから無能な人間だろうと、団体行動に不向きなメンバーだろうと、大過なき限り定年までは面倒をみてくれるし、定期昇給や退職金の支給が不当に拒まれることはまずない。日本人の企業に対する忠誠心はこうした社会構造の上に築かれている。日本人の行動倫理の原点がそこにあると言ってもよい。長いあいだ、日本の国では、国家がそうした役割を果たしてきたが、敗戦とともに国家を支えてきたあらゆる権威が一掃されてしまったので、権威によりかかって生きることに慣れてきた日本人は「会社」というメシを食べるための組織に新しい拠り所をみつけて、そこへ逃げ込んだ。
こうして組織された新しいチーム・ワークによって経済の発展がもたらされ、日本人が金持ちへの道を歩むようになったが、行政を担当する国の組織そのものが空中分解したわけではない。国家至上主義はさすがに影がうすくなってしまったが、軍隊と政治家が後退した分だけ官僚組織ががっちりスクラムを組んで、産業界の教育ママの役割を果たすようになった。
お役所の行動基準もまた「会社」という組織の中で日本人が発揮したものと同性質のものであるから、一億二○○○万人に落ち込みや脱落者がないことが行政の目標とされている。だから、農民だろうと、トラック運送業者だろうと、石油化学の業者だろうと、皆がやっていけるように、仕事の分配もすれば、一社が抜きん出てその他大勢を圧迫することを防ぐための行政指導をすることを当然のことと心得ている。自由競争の原理は官僚統制下の日本では大幅に制限され、協調のかげにかくれてしまっている。
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