日本的サービスの象徴は料亭の仲居さん


日本のサービス業の水準が高い背景には「心の文化」がある
私がみていると、日本人は全体として情緒的な国民であって、論理的な国民ではない。だから強いて分類すれば、日本の文化は「心の文化」であって「頭の文化」ではない。そうはいっても、論理的な頭脳を持っていなければ、機械を動かすこともできないし、生産工程を組み立てることもできない。したがって情緒的といっても、もちろん、それは程度の問題であって、物をつくったり、人と接する過程でそれがにじみ出てくる。
情緒的な人問は、他人の情緒を大切にする。人がどう思うか、どう感ずるか、を気にする。ことにお金をもらって人を接待するサービス業では、少しでも相手に嫌な思いはさせまい、相手をいい気分にしてあげなくては、という気持が強いから、細かいところまで神経を使う。ヨーロッパの一流レストランに行っても、インテリアは立派だし、ナイフやフォークから陶磁器まで選りすぐった物が使われている。日本の一流料亭も決してそれに劣らない。昔は砂ぼこりが立たないようにという意味もあっただろうが、お客のみえるところには玄関口にはちゃんと水を打ってあるし、お客が履物を脱ぐと、すぐに逆さに揃えるとか、トイレに行くときのためのスリッパまで用意している。季節の花はもとよりのこと、掛け軸もその時々で替えているし、庭のある店なら植木の手入れがきちんとしてある。日本料理の食器についてはすでに定評のあるところだから、ここで改めて説明をする必要もないが、日本では二流三流の店や大衆酒場のようなところに行っても、欠けた茶碗とか、ヒビの入ったコップを出してくるようなことはまったくない。そのへんのところが中国人と本質的に違うところで、中国人は貧乏だからサービスがおろそかになっているというのではなくて、無神経だから傷だらけの食器を出してくるとしか思えない。「この国の人は本質的にサービス業に向いていませんね」と台湾で働いていた日本人のマネージャーが批評しているのをきいたことがあるが、日本人からみたら無理からぬ印象であろう。
日本に次ぐ所得水準に達した台湾においてさえそうなのだから、台湾のGNPの十分の一にも達しない中国大陸ではなおさらのことである。
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