低所得の国ほどエ業化に成功すれば国が急速に豊かになる

もっとも、私が言っているのは、企業の多国籍化がもっとずっと進んだ将来のことである。今までのところでは、ユダヤ人が世界中に安住の地を求めて散らばったように、まだ日本の企業が世界中に工場展開を始めたばかりである。ユダヤ人と違って日本企業は国を、失ったわけではないから、帰属意識ははっきりしている。また進出先の政府や住民からも日本企業として受け入れられている。
しかし、外国への企業進出はまだ始まったばかりだし、日本人だって外国企業の進出に対して長いあいだ、違和感を抱いてきた。アメリカのように、もともと人種のルツボだったところでさえ、日本企業は、そのすぐれた経営と技術力の故に警戒の目でみられている。ましてやECの国々で、わけてもフランスのような自己主張の強烈な国で、すんなりと受け入れられるかどうかということになると、なお疑問が残る。それがタイやマレーシアやインドネシアのような東南アジアの国々になると、新しくつくられた日本の工場に競争相手がなく、しかも国の経済全体を左右するほど大きな支配力を持つようになるから、一歩間違えると、国民感情を刺激し、「新帝国主義」あるいは「黄色い白人」として排撃の対象になりかねないという微妙な立場におかれている。このことは新しく進出した日本の企業が最も神経を使っているところでもある。
そこで海外に進出した日本企業はどこの国でも、もっぱら低姿勢をモットーとし、従業員や周辺住民と摩擦を起さないように、待遇や労働条件に細心の注意を払い、福祉にも気を使っている。利益が上がるようになると、奨学資金制度を設けて、地元の学校に寄付をしたり、日本に留学する学生の援助をしたりしている。一時期、日本企業の進出はかつての「帝国主義」と二重写しになったので、地元の反感を買い、田中角栄元首相がインドネシアやバンコクで激しいデモをかけられたことがあったが、最近は「物を売り込むこと」から次第に「現地生産」に切りかわってきたので、地元に富をもたらすものであることが次第に理解されるようになり、デモの心配はほとんどなくなった。
企業の海外進出はお金儲けが動機であるけれども、客観的にみると日本国内でなけなしのお金をはたき、何もないところに工場を建てて何もないところから富をつくり出して日本人を金持ちにしたのとまったく同じことを、海外のいろいろな国で再現することになる。どうしてそういうお節介なことをやるかというと、お金のあとを企業が追いかけていくと、貧乏人をお金持ちにする以外に貧乏人にお金を払わせることはできないし、貧乏人をお金持ちにしようと思えば、貧乏人に仕事をあたえることから始めるよりほかない。期せずして慈善事業をやっているような、救世主の役割を果たしているようなところがあるのである。

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