再評価されてよい日本の累進課税制度
累進課税が日本を自由主義先進国のなかでも社会主義的色彩の強いものにした
戦前の日本は、皇室中心の国家至上主義の国であった。軍人が幅を利かせていたので、軍国主義の国といってもよいかもしれない。天皇がそれを望んでいるといえば、万民はその前に跪拝するよりほかなく、うまく天皇を担ぐことに成功した軍人が国を支配した時期が続いた。軍事予算を先取りすることができれば、軍人は満足し、しばしば軍縮に加担する政治家を血祭りにあげたりしたが、軍人の集団は経済に対してはとんと無知であったから、日本の経済は、アメリカ人からみれば、一握りの財閥によって支配されていた。だからこそマッカーサーの東京進駐とともに、占領軍は財閥の解体を命じ、政治家や財界人をその現職から追放したのである。このために、戦前の資産家はほとんど財を失い、わずかに三井、三菱、住友という名前だけが残ったが、今の財閥の実際の経営者と、戦前のオーナーとはまったく何のつながりもない。これらの大企業の大株主は、銀行であったり、生保であったり、関係企業であり、あとは不特定多数の大衆株主である。銀行や証券会社の大株主もまた関係企業が名をつらねており、全体として法人同士の持ち合いで構成されている。その中にあって、それぞれの企業の社長や重役の持ち分はわずかであり、創業者社長の会社を除けば、ほとんどの経営者が「雇われ」にすぎない。
創業者社長の場合は、持ち株を公開しても、また市場で売却しても、一定株数の範囲内なら免税の特典を受けることができたから、株価を高く維持することによって個人資産をふやすことができた。だから、日本人の大社長にあった場合、「あなたは創業者ですか?」ときいてみることである。「そうです」と答えたら、その人は日本の国でも大金持ちに属すると考えて間違いない。反対に、「いや、雇われですよ」ということなら、その人は社員の中から年功序列で押し上げられてなった社長であり、自社株を一%も持っていないのが通例だから、現職にとどまっているあいだは大きな権力を持っているが、職を降りたら、あとは中小企業の社長よりわずかな財産しか持っていない人だと考えて間違いない。 |