ところが、日本経済が発展するにつれて、国民の一人一人の所得水準があがり、それに比べると、税率の改正が後れをとったので、中堅以上の所得層のほとんどが累進税率のエジキになるようになった。折柄、レーガン治下のアメリカで抜本的な所得税減税が実施され、ヨーロッパ諸国にも波及したので、日本ひとりこの風潮を無視することができなくなった。減税はしたいが、減税をすればただでさえ大赤字の国家財政がもっと大赤字になる。ならば、この際、減税をエサにして直間比率を変え、間接税をふやそうじゃないかということになり、新しく消費税が登場することになった。たまたま老齢化社会が始まるとっかかりのようなところにいるので、自民党政府は老齢化社会と消費税を結びつけ、「消費税は老齢化社会に必要なものだ」とPRに躍起になっている。しかし残念ながら、老齢化社会と消費税には何の関係もない。老齢化社会の経費増はどんな財源で賄ってもよい性質のものであり、国民の合意を得られれば、直接税そのものででも、あるいは、全然別の間接税で賄うこともできる性質のものである。
また「老齢化社会に備えて」ということであれば、今はまだ老齢化社会になっていないのだから、今ただちに消費税をとろうということには無理がある。なぜならば、国民の一人一人の貯蓄ならば、老後に備えて残しておくことができるが、国の取り立てた税金はその年のうちに使い切ってしまわなければならない性質のものである。まだ老齢化社会にもなっていないのに、今から税金を取り立てることは、「将来に備えて今から無駄遣いの予行演習をやるのだろう」と言われても仕方がない。またもし「消費税を今のうちに定着させておけば、老齢化社会になったとき、増税がしやすいから」というのであれば、「今は三%だが、そのうちに一○%に、さらに一五%にするための道を敷いておく」ということであり、これまた「消費税は三%」という公約と矛盾する。どちらにしても、消費税と老齢化社会を結びつけることには無理があり、今の時点で消費税を実施する本当の狙いは、放漫財政の尻ぬぐいをするために、これまで税金をおさめてこなかった低所得層に税金を払わせようとする魂胆であるといって間違いないだろう。
それならそうと、はっきり言えばよさそうなものだが、日本の政治家たちは建て前と本音をいつも使い分けてきたので、本音をうっかり口に出して叩かれるのを怖れるあまり、建て前だけで逃げ切ろうとする。しかし、それだけではすまないだろう社会的な変化が起りつつあり、それに対応ができなければ、既成の政治家たちが国民の支持を得られなくなって政治の舞台から姿を消すことも起り得る。付加価値の創造によってもたらされた社会全体の変化は、ほぼ半世紀で日本の社会を過去の常識で測りきれないくらい変えてしまった。「国」そのものが新しい秤にかけられている。「国」そのものに対するそうした人々の意識の変化に比べれば、税制改革などホンの小さな事件にすぎないのである。
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