あとがき
飯田経夫
(国際日本文化研究センター教授)
邱永漢氏の名著『付加価値論』の「解説」を、いささか唐突だし、
あるいは著者に対して失礼かもしれないが、マンガの話から始めよう。いまから何年か前、石ノ森章太郎著の『マンガ・日本経済入門』(日本経済新聞社)が、大変なべストセラーになったことがあり、たしか英訳まで出た。私がどこかにその書評めいたものを書き、「評判から想像されるほど面白くないではないか」と感想を述べたところ、日経出版局の担当者(それは私にとって旧知の人だった)から、私のところへ電話がかかってきた。
「どうせあなたの気には入らないでしょうが、じつはこのマンガがよく売れるのは、あなたのような経済学者の先生方の責任なのですよ」というわけである。つまり、経済の激動の結果として、世は経済学を学びたいというニーズに満ち満ちている。ところが、そういう人たちが、書店で経済学の教科書を買って読むと、むずかしくてさっぱりわからないではないか。「経済学者たちは、わざわざ経済学に入門しようとこころざす若者たちを、門前で追っ払っている。そういう人たちが曲がりなりにも経済学に入門できたのは、このマンガのおかげなのですよ。経済学者には、感謝してもらいたいくらいのものだ」。
彼の話を聞いて、私は「いわれた!」と思った。事実、経済学者の文章は------たんに経済学者にかぎらず、およそ学者の文章というものは、というべきかもしれないが------、簡単にいえることを、わざわざ持ってまわった難解な表現で述べ、読みづらいことおびただしい。要するに、彼らは文章が下手であり、読者へのサービス精神に欠ける。主として自己批判の意味でいっているのだが、かねてから私はこのことを重大な問題だと感じ、数年前まで大学で教えていたころには、自分のゼミナールの学生には、「経済学は別にむずかしいことをいっているのではない。中学生でもわかるような表現で説明できるはずだ。ぜひともそうするように心がけよ」と、繰り返しいうのを口癖としていた。
ところが邱氏のこの本は、一読されればすぐにわかるが、生硬な専門用語はいっさい使わず、理路整然としていて、まことにわかりやすい。しかも、たいへん面白く適切な指摘が随所でなされていて、非常にためになる。出たときにさっそく一読して、けっしてオーバーでなく、「すごい本が出たものだ」と感嘆したことをいまもはっきりと記憶している。『マンガ・日本経済入門』との関連でいえば、経済学入門を志す若者を門前払いする必要は、もはやなくなった。
それこそ「中学生にもわかる」この本を、私がことさら「解説」する必要があろうとは思われないが、いくつかのことを述べておこう。まず、著者がこの本を第二次大戦後の日本経済のサクセス・ストーリーを素材としながら、「経済原論」として執筆した点は注目される。
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