貿易の不均衡が続けば資本の大移動が始まる


金持ち国の貧乏人の収入が貧乏国の金持ちに劣らないようになった

紙幣は政府の振り出した支払い手形みたいなものである。政府が信用されていれば、一○○ドル紙幣は一○○ドルとして通用し、一○○ドルに相当する物が買えるだけの購買力を持つ。円にしても、マルクにしても、ポンドにしても同じことがいえる。紙幣の原価は紙代と印刷代だけだから、その値打ちは購買力のほうにあって原価のほうにはない。かつて金貨が通用していた時代には、金貨が含んでいた金属そのものに値打ちがあったのが、紙本位になると、一○○ドルなら一○○ドルでどれだけの物が買えるかという購買力が一○○ドルの値打ちを決めるようになった。だから紙幣は「あの商品はいくらで買える」「これは安い」、「いや、高い」といった物の値段をはかる尺度でもあるが、同時にその時々のお金でどれだけの物が買えるかということが逆にお金の値打ちをはかる尺度にもなっている。もし物価が上がって同じ一○○ドルで以前より少しの物しか買えなければ、ドルの値打ちが下がったことになるし、物価が下がって同じお金でたくさんの物が買えるようになれば、お金の値打ちが上がったことになる。
しかし、同じ一つの国で、その国のお金を使っている国民がお金の値打ちがふえたといって喜ぶような現象は滅多に起らない。お金の値打ちが上がるということは、デフレを意味するから、産業界が沈滞して失業者が溢れているということにほかならない。そんな状態を望む国民も政府もどこにもないから、どこの国でもすぐに景気対策に乗り出す。国は借金をしてでも景気を刺激しようとするから、物価は下がるよりは上がる方向に動く。するとどこの国でもあわてて物価を抑えにかかるが、本当のことをいうと、物価が上がり続けることによって経済が成り立っているという側面が強いのである。そうした物価上昇のさなかで暮しを立てている人々は、ある程度慣れっこになってしまっている。
しかし、われわれが旅行者として何年ぶりかに海外を再び訪れると、その国の物価が上がっていることにいつもびっくりさせられる。たとえば、私は世界各国の旅行ガイドブックを二十年前のものからずっと持っているが、ホテル代とか、レストランの飲食代と書いた欄をめくってみると、十年前と今といかに値段が違ってしまっているかに改めて驚く。その国の通貨でホテル代や飲食代が昔のまま据え置かれているか、あるいは、逆に安くなっている国はただの一国も見当たらないのである。

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