資源がなければ買えばよい、資本がなければつくり出せ
資源も資本も、豊かになるための絶対条件ではない
こうして資源も資本もなかった日本が、わずか四十年で貧乏のどん底から世界一の金持ちにまで這い上がった。してみると、資源も資本も、物質的に豊かになるための絶対条件でないことがわかる。世界中をザッと見渡しても、資源国といわれる国で、金持ちの国はほとんどない。中近東の産油国は一時期、原油の大暴騰で世界中のお金をかき集めてしまうような勢いであった。
私はそのさなかにあっても、産油国の繁栄はそう長く続かないだろうと予言した。どうしてかというと、一バレル二ドルの石油を二十ドル、三十ドルに値上げしようとも、それは一次産品であって、加工して初めて人問の生活に必要なものになる性質のものである。原油が高くなれば、それを加工したものは必ずそれより高くなる。石油はガソリンや電力などのエネルギー源として使われるだけでなく、肥料、プラスチック、繊維などさまざまな素材の原料として使われている。したがって原油のコストが高くなれば、それに運賃を加えて精油工場や石油工場に引き渡されるときは原産地よりもっと高くなっている。したがって、そこでつくられるガソリンや重油や他の副産物も、もっと高くなるし、石油を原料としてつくられる科学繊維も、当然その分だけさらに高くなる。すると、ナイロンやテトロンで織った切地はそれよりもっと高くなるし、それを裁断してモデル嬢に着せて、ホテルのファッション・ショーに登場してきたころにはもっとずっと高くなる。一バレルニ○ドルの原料でつくったものが、おそらく何十倍にも何百倍にもなっていることだろう。
もし産油国の王様たちが石油を売って得た何千億ドルの収入を砂漠のなかにかくし、ふえたお金に全然、手をつけなければ、彼はあるいは世界一の大金持ちであり続けるかもしれない。しかし、もし彼がそのお金を使って宮殿を建てたり、海水を淡水に浄化する装置を仕込んだり、あるいは、人民のために病院を建てたり、医療設備を買い入れようとしたら、彼が売った原油を使って生産されたものは、必ずその原価の上がった分だけ製品のなかに組み入れられているから、もっとずっと高い値段になって彼のところへはね返ってくるはずである。原料のほうが加工された製品より高いといったことはあり得ないことで、かかったコストの何倍にも、あるいは何十倍にもなってはね返ってくるのが当り前だからである。 したがって経済の構造から言えば、アラブの産油国の人々は日本という壁に向かってテニスの練習をしているようなものである。強く打てば強くはね返ってくる。もしOPECの国々でいっそう結束を固くして、無限に原油の値を上げていくことができたら(そんなことが不可能なことはすでに証明済みであるが)、その加工品も無限に値上がりをする。実際には原油の売値をひきあげれば、今までひき合わなかったために発掘のできなかった地域でも石油の採掘が可能になるし、石炭の液化とか、太陽熟とか、他の代替エネルギーの開発も活発になる。価格が高くなると独占は維持できなくなるのである。
そもそもいつの場合でも、天然資源は、それを山の中や海の底から掘り出したり、消費地まで運搬したりするための労働が加わってはじめて価値を生ずるものである。それがいかに稀少価値のあるものであろうとも、それが人間の手に渡って消費者に届くまでに必ず何らかの付加価値が加わる。そして、その付加価値のほうが原材料のもつ価値よりずっと大きいのが常識である。
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