収穫が最優先の農耕民族の体質が問題
ところで、米の自由化交渉の過程で日本側の言い分をきいていて、だれでもすぐに気がつくことがある。それは米の自由化をしたら生産者である農民が困るということばかりで、消費者である国民の利益は少しも問題にされていないことである。日本の政府、政治家、役人の頭の中には生産者だけがあって消費者は不在である。「日本に比べて一○分の一の値段の米が輸入されるようになったら、日本の農民は潰滅的な打撃を受ける。日本の国民がそういう仕打ちを黙認できるわけがない」そう言って生産者の肩だけ持つ。生産者は同時にまた消費者であるのだから「お米をもし今の一○分の一の値段で買えたら、消費者はどんなにトクをするか」という考えもあってよいはずである。それがこれっぽっちも頭の中をかすめないのだから、日本の指導者の頭の中に消費者は存在しないというよりほかない。なぜそういう片端な物の考え方をするようになったのであろうか。日本の国に消費者はいないとでもいうのだろうか。しかし、よく考えてみると、このことは米だけについて日本の指導者たちがとってきた態度ではない。農作物はもとよりのこと、工業製品の輸出入に対しても全く同じ態度がとられている。もし日本の天然資源がオーストラリアやカナダのように豊富だったら、恐らく日本人は天然資源に対しても保護政策をとったことであろう。しかし、天然資源の乏しさについては日本人自身も認めざるを得なかったから、輸入にたよるのが常識となった。それでも石炭産業を守るために輸入石油に課税して、その収入で石炭に補助金を支給した。その結果はさきにも述べたとおりだから、何かというとすぐ救済の手をさしのべるのも考えものである。恐らく米についても石炭と同じ運命が待っていることだろう。
しかし、日本人はその程度のことでこりたりはしない。輸出についても、輸入についても、日本人の発想はほとんどワンパターンであり、必ずのように同じ相撲の取り方をする。というのも、日本人は資源も乏しく食糧にも欠乏する環境に育ったために、生産をして収穫することを最優先にし、生産さえスムーズに行われれば分配は自然にできていくと堅く信じているからである。
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