工業化が日本人に金儲けのチャンスをもたらし、社会を一変させた
もし日本が農業社会にとどまっていたら金持ち国にはなれなかった
もし日本が広大な領土を持っていたら、再建に際して、日本人ははたして貿易立国の道を選んだだろうか。またもし日本が豊富な天然資源に恵まれていたら、日本人はそれらの資源の加工に気をとられて、特定の工業にだけ打ち込み、今日のような先進工業国になっていなかったのではないだろうか。
とりあえず食糧の不足に悩まされていたのだから、農地が広ければ、日本人はまず田舎に帰って米づくり、麦づくりに励んだに違いない。
事実、食糧不足に悩んだ戦後十年は、農業に力を入れる人も多かったし、農業生産に従事する人々は単位面積あたりの収穫をあげることに全力をあげた。いかんせん、土地は限られており、荒地に鍬を入れて土地の改良をやっても、思うように成果があがらなかった。不足する食糧を自給することはいずれにしても不可能だった。ならば、農業をやるよりは、加工業に従事するほうがよい。というよりも、綿でも羊毛でも、あるいは、鉄やアルミでも、外国から原料を輸入してきて、それを加工して製品にして輸出する以外にメシを食っていく方法がなかったのである。
これも仮定の問題だが、もし日本人が農業に力を入れて、戦前と同じように、人口の五〇%が農業に従事していたら、「豊かな日本」は実現していなかったであろう。というのも、農業でできることは、せいぜい自給自足で、日本人がどんなに逆立ちしようと、米作でタイやカリフォルニアに、また麦作でオーストラリアやカナダにかないっこなかったからである。そればかりでなく、農産物は付加価値が低い。農産物は不足をすると暴騰をするが、そういうときは収穫も少ないから、収入はそんなにふえない。反対にできすぎると、豊作貧乏といって値段が暴落する。焼いて捨てなければ、値段を維持することすらできなくなるくらいピンチに追い込まれてしまうのである。
だから世界中、どこの国を見ても、農産物を多く産する国は、食べるには困らないが、お金持ちにはならない。農産物は、人口が必要とする以上につくられても役に立たないし、必要量は人間の胃袋の大きさに制限される。そのうえ、付加価値が低いときているから、農業社会にとどまっているうちは金持ち国にはなれないのである。
日本の場合は、工業を選ばなければ生きていけなかったから、工業へ切り換えていったのであるが、その結果、農業人口が減ると同時に、農村から人口が都会に移動するようになり、国全体の人口分布も、またお金の流れもすっかり変わってしまった。 |