一口に「労働者の国」といっても、まるで経済の仕組みがわかっていない官僚たちによって経済が統制されている共産主義の国々とは一線を画する。日本の会社も、そのスタートの時点では、出資者の持ち物であり、営利を目的として運営されてきたが、敗戦によって資本家が追放され、その組織をかつての使用人たちが継承した。使用人のなかで経営のセンスのある人たちが経営者になり、必要な資本は他から仰ぐか、借り入れるか、自分たちで蓄積するようになった。そうしたなかで、組合運動が盛んになり、その要求に応じなければ、会社そのものが存続していけなかったので、株主への分配を削って、従業員の取り分を多くしていった。
いったん、こういうモデル・ケースができあがると、個人営業から始まった会社でも、大企業の仲間入りをすると、それに"右へ倣え"をするようになる。その結果、日本の会社は資本家的センスをもった労働者の集団によって運営されるようになった。分配も「労働者に厚く、株主に薄く」という原則を貫いたから、労働の生産物である富の分配をするにあたって、企業に留保される分を除くと、労働者に平均にいきわたるようになり、それが有効需要として働いたので、日本の国内市場はみるみる大きくなっていった。
この意味で、日本の経済的繁栄を導き出すについて労働運動のはたした役割はいくら評価しても評価しすぎることはないだろう。共産主義の国々では、労働者にそういった自由はあたえられていないが、占領下の日本でそうした自由をあたえられた日本の労働者は、一歩間違えると共産化してその自由を失う危険に晒されながら、どうやら、自由を失わないで危険地域を通りすぎた。塀のどちら側におちるかによって人間の運命は大きく分れるものだが、日本人は賢明で穏健な道を選び、労働の果実の取り分を多くしただけでなく、そうすることによってさらに生産性をあげるシステムをつくりあげたのである。
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