企業への帰属意識が技術蓄積を可能にする
完成品をつくるとき、最終的には「人間」の質の問題になる
日本人は国をあげて工業化に遭進し、戦後三十年を出ずしてその名声を世界中に轟かせるようになったが、日本人が工業化に成功した秘密はどこにあるのであろうか。また日本人が築きあげた生産秩序にはどういう特色があるのであろうか。
物を生産するためには、それに従事する「人」と、生産に用いられる「資源」と、それから、それらを組み合せて一つの「商品」につくりあげる生産工程がある。先進国とは、農業から始まって工業化に成功し、高い品質水準の工業製品が生産できるようになった国のことであるが、既存の先進国を抜いて、日本がそのトップへ躍り出たとすれば、日本人には他の国民に抜きん出た長所があるはずである。それは何かということを追究していくと、どうしても「人」というところに突き当る。
「資源」は「人」が掘り出したりつくり出したりするものである。「資源」と呼ばれる天然の産物は、日本国内にはほとんど産しない。産しないけれども、お金さえ出せばいくらでも買うことができる。買ってきた「資源」を加工して原料になる素材をつくる。その素材をさらに加工して完成品、最終消費財をつくる。素材をつくるまでなら、どこの先進国の人々にもできる。コストが安いかどうか、品質にムラがないかどうか、だけの違いだからである。ところが、完成品になると、無数のパーツから成り立っている。自動車だと、何千という単位、航空機だと、何万という単位のパーツによって組み立てられている。それらを組み合せてつくられた完成品がすぐれているかどうかは、パーツの一つ一つに欠陥がないかどうか、その組み合せが正しいかどうかできまる。究極的にはその組み合せをする「人」の素質にかかわってくる。また生産に従事する「人」の配置の仕方とか、生産に必要な組織のつくり方とかに大きく左右される。どうしても最終的には、「人問」の質の問題にぶつかってしまうのである。
さきにも述べたように、かつて『ロンドン・エコノミスト』誌は、日本人の工業的成功の理由の一つに、日本人の教育水準の高さを挙げている。明治維新以来、日本人が国をあげて教育の普及に力を入れてきたことは周知の事実だし、アメリカ人に比べても日本人のほうが教育水準の高いことは広く認められている。戦後はとりわけ大学に行くのが当り前になり、「駅弁大学」といわれるように、駅弁を売っているほどの都市なら、どこにでも大学があるようになった。いまやレストランの皿運びでも大学出は珍しくないし、ガソリン・ス夕ンドでタイヤを洗ってくれる青年でも、ちゃんと大学は出ている。そういった意味では、日本の労働者の質は他の国々に比べてはるかにすぐれていることは確かだが、学校の教育だけでは説明しつくせない部分がかなりある。歴史のせいと言ってもよいし、国民性と言ってもよい日本人一般の普遍的な気風から説明するよりほかないことも多いのである。
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