メシの食える地域とメシの食えない地域
工業化がもたらした第二の大きな変化は、工業化に成功した地域とそうでない地域の貧富の差が大きくなってしまったことである。狭いといっても、日本全国を見渡せば、利用のできる土地はまだまだたくさんある。住宅地にできる未開発地もたくさんある。ところが、実際に起っていることは、人口の集中する地域は押すな押すなの大盛況だが、その半面、過疎地帯に行くと、農地は荒れるに任され、家は廃屋になったまま立ち腐れという光景が珍しくない。この差は地域的な貧富の差となって表われ、ただでさえ地域の地価は下がり、すっかり財産価値を失ったのに対し、メシの食える地域の土地は値上がりにつぐ値上がりで、東京で五十坪の土地を持った人は、田舎で五千坪の土地を持った人より金持ちになっている。
恐らく農業国だった時代は、島根県や鳥取県の一町歩も、埼玉県や千葉県の一町歩も大した差はなかったに違いない。うっかりすると、落花生しか作付けのできない千葉県の土地より島根県の良田のほうが値が高かったに違いない。だから戦前は農業地帯にも、高額納税者で貴族院議員に任命された人がいた。しかし、いまでは地方都市、とりわけ農業地帯で都市部に匹敵する高額納税者は全くいない。青森県とか、秋田県のような農業地帯の高額納税者は、ほとんどが医者であり、農民が税金を免除されているせいもあるが、免除されているということは経済的弱者ということにほかならないから、地主も含めてもはや農業でメシを食っている者は、工業で財をなす人々の敵ではなくなってしまったのである。
特に同じ土地でも、商業用、住宅用に使用される土地と農業用に供される土地ではまるで値打ちが違ってしまった。また同じ農地でも過疎地と過密地では天と地ほどの差がついてしまった。五十年前は秋田にいても、埼玉にいても、農民のやることも、収入も大して違いはなかったが、現在では田舎に行くと農地を買ってくれる人はいないし、副業に何かやろうと思っても適当な働く場所がない。東京の周辺は、農地でも高い値がつくようになったし、農地を住宅地に変えれば、途端に億万長者としての収入があるようになる。農地を草茫々にしたまま、どこかに勤めに出かけても、地方とは比べものにならないくらいの実入りがある。これでは都会人口を分散させようと考えるほうが無理で、ポル・ポト政権のような強権でも発動しなければ、大都会に集まってくる人たちを地方へ追いやることは不可能であろう。工業化によって、日本人は貧乏から脱け出すことができたが、同時に、人口密度と貧富に新しい地域差をつける結果になってしまったのである。
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