紙本位制のもとでは必然のインフレが借りた側に有利に働く
日本の場合は、インフレ体質のうえに付加価値による冨の大量の創造がこれに加わった。一万円の原料を海外から仕人れてきて、これに加工をして三万円で売れる商品をつくり出したとする。その差額の二万円か付加価値であるが、もちろん、その中には労働や地代や金利が含まれている。そうしたそれぞれの費用を支払い、手元に最後に残されたのが利益であるが、もし生産が行われなければ、それは生れてこなかった性質のものであった。逆にいえば、付加価値の高いい生産が次々と行われれば、労働者の貰い分も、資本を出した人の貰い分もふえ(日本の場合は資本は大衆化されてるし、大半が銀行からの借入れであったから、金利として預金者に還元されるか、法人の所得となって企業に留保されたが)、その分だけ購買力がふえるか、または資本として蓄積された。
購買力としてふえた分け、次々とつくられた商品を貰う有効需要として働いたし、また資本として貯蓄された分は、銀行に貯金され、銀行を通じて産業界に融資された。貧乏だった時代の日本人はせっせと節約をして貯蓄に励んだが、自分かちで株を貰ったり、事業をおこしたりする人は少なく、ほとんどの人々が、節約したお金を銀行か、郵便局に運んでいる。銀行や郵便局は、小さな庶民のお金を集めるプールであり、プールに集まったお金は、政策的に生産事業に従事している中以上のスケールの企業に重点的に貸しつけられたのである。
工業が発展するにつれて、消費も貯蓄も共にふえていった。ところが、貯蓄をした人とそのお金を事業に投入する人は、銀行というパイプを通してつながっていたが、まったく別の人格であったため、インフレが進行すると明暗を分けることとなった。銀行から資金の提供を受けた企業のなかにも、経営がうまくいかず、倒産してしまったものもいくらかあった。そういう企業に直接、お金を提供しなかったおかげで胸を撫でおろした預金者もあったが、その代りインフレの風潮にうまく乗ることができず、どちらかというと、貨幣価値の目減りをまともに受けることになった。
このことは自己資本に主として頼ってきたアメリカの製鉄会社と、ほとんど借金に頼って設備投資をしてきた日本の製鉄会社の辿った運命を比較してみれば一目瞭然である。仮に製鉄設備一式を整えるのに一〇〇〇億円かかったとする。全額か、それに近い資金を自己資本に依存したアメリカの製鉄会社は、税法の規定に従って減価償却をする。減価償却をして残った部分は利益金となり、課税の対象となる。そのまた残りの中から配当金が支払われるが、アメリカの場合、「会社は株主のもの」という思想が強いから、利益金の中からかなりの部分が配当金に支払われ、日本のように莫大な金額を内部留保として残すことはない。
ところが、やがて生産設備が老朽化して新鋭設備に更新しなければならない時期がくる。一〇〇〇億円かかった設備が今度は一五〇〇億円を要するようになる。設備が日進月歩で高度化したこともあるが、インフレで同じ設備に要する費用が高くなっている分も含まれている。すると、償却をして積立てたお金では新しい設備投資に不足するようになり、増資するか、新しく借入れを起さなければならなくなる。
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