生産者があって「消費者不在」の経済政策


日本は外国では自由貿易のス口ーガンに同調、国内では保護貿易に徹してきた
日本人は外国から自由化を迫られると、必ずクドクドと弁解がましい理由を並べ立てて断わりをいう。どうしても断りきれないときは、輸入割当量にホンのちょっぴり色をつけるとか、段階的な上乗せをして、なるべく先へ先へと延ばしていく。その理由としてあげているのは、「競争力がまだ整っていないから」とか、「農民が潰滅的な打撃を蒙るから」とか、しまいには、「外国人に理解できないわが国の特殊事情によるものだ」とか、要するにもともとやる気はないんだが、「貴国のほうでそうおっしゃるのなら、これからその準備をしましょう。ただし、もう少しの猶予をください」と礼を尽して頭を下げる。
アメリカ人は人のよいのが多いから、「二年待ってください」「三年待ってください」とかいわれると、二年か三年たったら日本人は具体的な提案をするものだと信じ込んでしまう。ところが、実際二年、三年が来ても、日本人は何一つしようとしない。「それじゃ約束が違うじゃないか」とアメリカ人が色をなすと、「いや、待ってくださいとは言いましたが、何かやるとはっきり約束した覚えはありません」とケロリとしている。その点、イエスとノーがはっきりしている英語と、イエスとノーのあいだに長い灰色地帯の介在する日本語の言語上のニュアンスの違いもあって、何回か交渉の体験を積むうちに、アメリカ人も日本人に対しては強硬態度をとる以外に効果がないことをようやく悟るようになってきた。
牛肉、オレンジ交渉におけるアメリカ人の強硬ぶりにその一端がうかがえる。第三者からみたら、どうせ約束した自由化なんだし、日本の総理だってその気になっているのだから、簡単にOKすればよさそうなものである。ところが、それがなかなか思うようにいかない。農相を何回も派遣して、いかにわれわれが農民のために粘ったか、しかし、ついに弓折れ矢尽きて締結に立ち至ったかを広く国民にPRすることによってコンセンサスを得る必要があったのである。
本当のことを言うと、実際に農業の自由化をしても、日本の農業が潰滅的な被害を蒙ることはほとんどない。オレンジと蜜柑はもともと種類の違うものであり、代替的な関係にない。現にグレープ・フルーツがどこの果物屋の店頭にも並ぶようになったが、それによって蜜柑山の農民が廃業したという話はきいたことがない。蜜柑づくりの農民が困るとすれば、蜜柑ができすぎて値下がりするとか、逆に不作におちいって収入が減る場合だけであって、こんなことはサンマとりにも、イワシとりにも、しょっちゅう起っていることである。自動車や家電製品などの工業製品にも同じことが言える。他の業界では自分たちで調整を行うのが常識であり、特に珍しいことでも何でもないが、農業だけがだっこにおんぶが当り前と決めこんでいるのである。
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