会社への帰属意識が可能にしている合理主義で割り切れないこと 2
もしこれが自動車や精密機械やコンピュータなどの生産分野で起ったとしたら、どういうことになるだろうか。昨日まで現場で働いていた人が今日からいなくなるようなことがしよっちゅう起れば、単純労働者でも作業ができるようなシステムを開発しなければ、工場生産が成り立たなくなってしまう。現にアメリカでは、人を雇ってきて、その日から工場で働かせても、すぐに役に立つようなシステムで動いている現場が多い。このことは、一応の形は整っていても、名人芸とか、職人芸からほど遠いということにほかならず、とても技術の蓄積ができない。技術水準とあまり関係のない日用品や消耗品を生産している分にはさしたる支障はないけれども、力メラや腕時計や、百分の一ミリの誤差を争う工作機械をつくるとなると、技術陣が寄せ集めであったり、若い人ばかりで、経験者を中心とした技術の温存ができていない場合、安定した高度の技術水準を保つことはとてもできない。その点、一旦、入社した企業で定年まで働く人の多い日本では、ある日、突然、技術陣が集団で退職するとか、ピカ一と思われていた優秀な技術者が他社に引っこ抜かれるようなことがまずないから、一たび築かれた社会的信用を失うようなことはまず起らないのである。
第二に製品の質の問題である。商品は高度化すればするほど、多く
パーツから成り立っている。もしアメリカのように一○○個に二つの不良品発生が許されるなら、一○○○個のパーツで成り立っている完成品は二○%の故障率があると考えなければならない。一万個だと、故障率は二○○%、すなわち、どの商品もどこかでパーツがすぐにも故障を起すものだということになる。日本のようにパーツの不良品率一○○万分の一ということになると、一万個のパーツでも、故障率は一%以下になってしまう。その違いは、品質管理の技術からくる。管理する人が昨日と今日では別人になってしまっているのでは、管理そのものの完壁を期待することは難しい。
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