日本の会社のチーム・ワークが今日の繁栄をもたらした
もちろん「日本企業のこうしたゲマインシャフト的性格は外見だけでは見当らない。会社が敗戦とか、倒産とか、労働争議とか、要するに興亡の危機に直面すると、ふだん水面下にかくされたところが露呈されてくる。「事業は人なり」「会社の財産は人である」と日本人はよく言うが、そういうだけあって、日本の会社のように、愛社心をもった社員によって構成された粗織は他に類例を見ない。日本の会社員は、社員教育がよく行き届いているせいもあるが、上から下までよく思想の統一が行われていて、私鉄の切符切りでも、社長の意を体した物の考え方をする。「さあ、ボスは何を考えているのでしょうかね」とアメリカやヨーロッパの労働者のような口のきき方はまずしないのである。
日本人にとって会社は生活共同体である。それが人を運ぶ仕事に従事しているとか、百貨店を経営しているとか、広告屋をやっているとか、そういったことは、偶然、そういう仕事に従事しているというだけのことで、さして重要なことではない。もちろん、どういう業種であり、業界シェアがどの程度のものであるかは就職する人には重要なことであり、会社に採用不採用の権利があるように、本人にも会社を選ぶ権利がある。自分の好き嫌いもあるし、業種別の将来性もあるし、また会社によって待遇にも格差があるからである。しかし、一旦、入社してしまうと、あとは日本の会社に共通の共同体意識が支配する。
まず日本の会社は、家族の延長であり「大きな家族」であり、社員はその家族の一員みたいなものである。個人的なプライバシーも、自分の家族なりのプライバシーも一応、あることはあるが、家族が何人いて、いつ結婚をするのか、結婚したあと配偶者とはうまくいっているのかどうかさえも監視されてしまう。というのも、家族の安否が本人の労働意欲や心情にも影響するし、それは「大きな家族」の家長として気にしないではいられないことだからである。ただし、こうしたことは団体で生活をしている日本人にとってはごく当り前のことであり、家族のことをきかれるのは、気を使っていてくれる証拠として、むしろ歓迎されている。
第二は、会社のしきたりに従うことである。会社のしきたりは会社によって違う。しかしどこの会社にもその会社のしきたりがある。会社のしきたりは不変のものではない。社員の総意、もしくは経営陣の決定によってどのようにでも変えられる。しかし、ともかく社則、労務規定、賃金のシステムから、転勤、人事異動、習慣に至るまで、その会社なりのしきたりがあって、会社の一員になった以上、そのしきたりに従うことが要求される。
第三に、これはきわめて日本的な習慣だが、個人の利益よりも、公共の利益を優先させる。この場合の公共の利益とは、「会社」という利益追求ゲマインシャフトの利益のことであって、天下国家、あるいは、外界のことではない。会社の利益と個人の利益が相反した場合、日本人は自分の利益をある程度犠牲にしなければならない。また会社の方針や政策が自分の意見とかけ違いになったとき、日本人は反対意見を述べることはできるが、衆議が決まったあとは、衆議に従わなければならない。もし己れを没することができない場合は、会社を辞めることになる。 |