どうしてかというと、そもそも日本人は地縁でかたまり、衆をたのんで生きてきた。組なら組、村なら村という集団のなかで、集団の利益に従うことによって平穏無事の生活をするのが長いあいだの習わしであった。日本人は孤独を嫌い、集団から仲間はずれにされることに極度に神経を尖らせる。日本人の最大の刑罰が「村八分」であって、「切腹」でないのを見てもわかる。「切腹」は生き恥をさらさないための恩典であって、この世に生きて仲問はずれにされるくらい苦痛なことはないのである。したがって脱藩をするときだって集団脱藩が常識であり、今日でも会社を辞めるときは、集団退職が珍しくない。
もともとそういう伝統をもった日本人が敗戦後、復員してくれば、まず昔の「会社」へ戻ってきた。すでに実体のなくなってしまった会社もあれば、会社は残ったが、財産も仕事もほとんど失ってしまった会社もあった。しかし、会社は先にも述べたとおり、ゲマインシャフトであるから、人問を財産と思っており、人問を食べさせていくために、仕事を見つけることをすべてのことに優先させる。「お前を食べさせることはできないから、明日からは来てくれるな」などとは決して言わないのである。
会社のなかには、需要産業であったために解散を命ぜられたものもあれば、財閥解体で解散させられたものもあった。そういう会社でも、残党が復員してくると、旧幹部があちこち奔走して、19万5000円(当時は資本金20万円以上の会社は設立が規制されていた)の新会社をつくり、旧部下を集めて新しい仕事を始めた。今まで食糧や鉄鋼の売買に従事していたのが、10万円のお金を工面して香港に輸出するための冬茹を大分県まで買いつけに行くとか、いままで軍艦や大砲をつくっていた会社が鉄やアルミを溶かして鍋釜をつくるという珍風景も見られた。そうした変化のなかで一番際立ったことは、利益をあげるために集まった人によって企業が経営されているということではなくて、昔から縁あって一緒になった仲問がまずいて、それらの人々を食わせるために企業が存在したということである。私は冗談半分に、「日本の会社は営利団体ではない。サラリーマンの相互扶助組織だ」と言っているが、これは決してまったく根拠のないことではないのである。

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