花見酒の土地ブームが倒産を巧みに回避させる
お金の貸し手と借り手を安心させる担保物件が土地
私は日本の銀行家は、日本の産業界の発展については、事業家たちの尻馬に乗ったにすぎないと言ったが、むろん、銀行家たちがその使命をはたさなかったと言っているわけではない。お金は産業界の血のようなものだから、循環系統がうまく機能してくれなければ経済は円滑に動いてくれない。銀行は循環系統の心臓みたいな役回りだが、その動きは大蔵省が制御している。すると、一番重要な役割をはたしているのは大蔵省かということだが、大蔵省が産業界の血を提供しているわけではない。大蔵省はお金の量をふやしたり、減らしたりすることができるし、また国全体のどういう部分により多くお金を送り、別のところでは後回しにするか、を銀行に命令することができる。
戦後の日本は生産をふやすことと、外貨を稼ぐことが最大の命題であったから、生産のための設備投資には優先的に融資をしたが、流通業やサービス業にはまったく相手にもされなかった。輸出産業には、あれこれ優遇条件をあたえたが、土地を買ったり、家を建てたりする資金はなかなか貸してもらえなかった。さらにまた生産事業は大企業に重点がおかれたので、大企業はいともたやすく銀行からお金を借りることができたが、中小企業・零細企業は市中銀行から長いあいだ、相手にもされなかった。こうした監督官庁の方針は、日本の銀行群に日本独特の性格をあたえるようになった。
よく「日本には銀行は一行しかない。日本銀行があるだけで、あとのすべての銀行はその支店か、出張所だ」という批判をきくことがある。銀行の数は多いし、うっかりすると、おでん屋と同じように、ズラリと軒を並べているが、売っている商品も同じなら、仕入れ値、売り値、すなわち利率もすべて同じである。同じ大阪出身でも、住友のほうががめつくて、三和のほうがお人好しだ、とかいった社風の違いがある程度で、業務内容はまったくといってよいほどよく似ている。
何せ日本の監督官庁は、都市銀行を庶民への金融機関とは考えていなかった。大体、銀行というところは、庶民がお金を預けにくるところで、庶民にお金を貸すところではなかった。庶民もそれは承知していて、銀行はさしあたり使わないお金を持っていって預けるところで、お金を借りるところという概念は持たなかった。監督官庁の目から見れば、庶民から集めた預金を生産事業を経営している大企業に貸し、それで工場を拡張したり、生産をあげることができたら、それで大目的は達したということだったのである。
しかし、それは大所高所からの発想であって、銀行にしてみれば、大企業だろうと、中企業だろうと、さきにあげたような銀行側の条件を充たしてくれなければ、お金を貸すわけにはいかない。幸いにも、その場合、お金の貸し手と借り手のあいだをうまく取り持ち、担保物件としての役割をはたし、双方を安心させる仲介者があった。それは、ほかでもない、土地である。
日本のように狭い国土に、多くの人口を擁している国でも、利用価値が大してなければ、土地は安価なものであった。昭和三十年以前の、まだ高度成長がスタートしていなかった時代は、東京やその郊外でも、土地はそう値段の高いものではなかった。人口の集中する都市の中心部では、商業地や住宅地の値段は、地方都市や郊外の土地よりは当然、高い。しかし、米をつくるとか、野菜をつくるとかいった耕作日的なら、消費地への輸送にかかる費用程度の差は生じても、田畑の地価は全国的に見て、それほどの違いはなかった。農業が中心になっている限り、働き手は農地に釘付けにされたから、人口も全国的にほぼ平均して分布されていた。
←前ページへ 次ページへ→

目次へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ