日本に繁栄をもたらしたのは事業家である

どこの企業も何らかの形で銀行と取引があるし、最終的には、その実力を認められてどこかの銀行をメイン・バンクとして、その系列に組み入れられるようになっているが、最初から銀行に助けてもらってきたとはいえない(新しい企業に対して銀行は常に懐疑的であり、気前よく融資をしてくれることは滅多になかった。それというのも、銀行の経営者も、一般の経営者と同じように、特に先が見えたわけではなく、手さぐりでやっているらちに斜陽化する企業にはお金を貸さなくなり、成長する企業には、その業績の伸び具合を見て、次第に融資の枠を拡げていったので、気がついてみたら、産業界全体の資金に対する要求を充たしていた、ということになったまでのことである。
したがって日本の銀行家が日本の産業の発展に大きな役割をはたしてきたとは残念ながらいえない。銀行は終始、預金者から預かったお金を守ることにきゅうきゅうとしてきた。お金がこげつかないことだけが彼らの唯一の目標だった。
しかし、工業が発展するにつれて、日本の産業界は次々と様相を変え、新しい産業が新しい需要を生み出し、新しく生み出された需要が新しい産業をさらに一段とスケールの大きなものに成長させていった。自動車がつくられるようになったから、自動車に対する需要が生み出されたのか、それとも自動車に対する潜在的需要があったから、自動車が売れるようになったのか、この議論にきちんとした決着をもたらすことは難しい。ちょうどそういう呼吸のうまくあう時期にそれぞれの商品が登場していることは事実で、需要があったから供給があるようになったのだ、と考えて決して間違いではないが、日本の産業の進展ぶりを見る限りでは、自動車でも、冷蔵庫でも、電気掃除機でも、テレビでも、物がつくられると、それが人気を呼び、爆発的な需要を呼び起したというほうが正しいのではないだろうか。
この意味では、日本に繁栄をもたらしたのは、明らかに事業家であって、銀行家でも役人でも、ましてや政治家ではない。事業家といっても一人や二人の創業者のことではなくて、敗戦の廃墟のなかから、すぐれた指導者を先頭に工業生産でメシを食っていこうと試みた集団のことであり、こうした未知の分野への開拓に対して、他の人々はうまく尻馬に乗っただけのことにすぎない。

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