日本の流通業が国際競争力を持つようになった理由

しかし、今後の駆け引きによって、日本の最後の牙城である米を陥落させることができたとしても、日本の消費者たちが国際的水準の安価で米や牛肉やオレンジにありつけるようになるかどうかは依然として疑間である。米の輸入によって日本の流通システムが抜本的に改善され、スーパーがいまより安い値段で食品や日用品を提供するようになるということは到底、期待できそうにないからである。かつてケインズは、「人々は実質賃金の向上に賛成するよりも、名目賃金の低下に抵抗する傾向があること」を指摘したが、日本人もその例外ではない。物価が上がっても賃金が上がれば不平を言う者は少ない反面、物価が下がって実質賃金が上がっても、名目賃金が上がらないと文句を言う。まして物価が下がったから、賃金も下げようと言おうものなら、もっと激しく抵抗する。そういった心理の下で生活している人々に受け入れられる物価のシステムは、物を安く提供することではなくて、むしろ高く提供することだから、原材料がどんなに安くても、売るときは高くしなければ売れない。ことに日本人の懐具合がよくなるにつれて、エンゲル係数はますます小さくなるから、食料品の値段の高さを気にする人はほとんどいなくなってしまった。安いことが買い物の動機にならず、心の満足がセールス・ポイントになるとすれば、安いことで消費者に迫ることはいよいよ困難になる。たとえば外国人が日本人を領海から締め出すことによって自分らで魚をとり、それを日本人に売りつけても大してトクにならない。冷凍魚は日本人にとっては加工食品の原料にすぎず、付加価値はそれから先の加工にあって原料の値段の中に入らないからである。もし魚そのものに付加価値をつけようとすれば、生きたまま産地から運ばなければならない。そのためには生きたまま運んでも長持ちをする装置をつくることが必要になる。そういう装置はたいてい日本人の発案によるものであるから、産地は魚を生きたまま提供するが、産地が受けとれる魚の値段はそこまでで、日本に運び込まれて消費者に三倍、五倍の値段で売れようと、それから先の付加価値はほとんど日本の流通業者のものになってしまうのである。
したがって、アメリカやその他の国々が日本人の鎖国主義を批判し、第三○一条を楯に日本の門戸を完全に自由化することに成功したとしても、日本人が今まで農民保護の名目の下に輸入制限をしてきた分野の開放だけで日本とのあいだの貿易のインバランスを改善することはほとんど不可能であろう。なぜならば、原材料にあたる一次産品の値段は、それを加工してつくられた工業製品に比べたら、ほとんど一○対一くらいの低いものにすぎず、インバランスは改善されるどころか、逆にひらいていく可能性のほうが強いからである。

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