日本の流通機構は価格変動に対するショック・アブソーバー
以上列挙した日本的流通システムの特徴は、日本国内の物流だけ見ていると、ごく当り前で特に目立たないかもしれない。しかしそこへ輸入品を運び込んで、レントゲン透視をやってみると、改めて草食動物の胃腸に似た構造であることに気がつく。たとえば、日本の国では食品でも工業製品でも原料の大半を輸入に仰いでいる。工業製品の原料の場合は、加工されてから製品になるまでのプロセスが長く、一手経るたびに付加価値がつき、それがふくれあがっていくから、原料のコストを半額に下げても製品の売値にはさほど響かない。その点、小麦や大豆やとうもろこしのような食糧ならば、製品のなかで原料費の占めるパーセンテージは割合に高いから、為替の変動によって輸入価格が半分になったら、加工食品の値段がたとえ半分にならなかったとしても、一二分の一くらい安くなってもおかしくはないはずである。ところが、日本では、いくら原料が安くなっても、国際競争を強いられる商品でない限り、決して安くはならないのである。
たとえば、この二年間で、ドルは二五○円からおよそ半分になってしまった。それならば、パンや豆腐やサラダ油は半額か、少なくとも三分の二くらいになってもよさそうなものである。しかし、いくら原料が安くなっても、製品は安くならない。どうしてかというと、アメリカから横浜港への距離よりも、陸へあがってから、皆さんの口に到着するまでの距離のほうがずっと遠いからである。輸入食料品のなかには、政府が介在して価格の調整をしているものもある。差額関税によって政府や公団がごっそりマージンを吸い上げているものもある。この手の統制品は、輸入価格が下がっても、卸値を下げないので、小売値も絶対に下がらない。豚肉などはその代表的なものの一つであろう。価格を安定させることによって生産者を保護するためだそうであるが、どっちを向いても「生産者」があって「消費者」は不在なのである。仮にそうした差額関税がなく、自由に輸入のできる原料であったとしても、商社、一次問屋、二次問屋、三次問屋と幾多の手を経ているうちに、最終小売業者の手に渡るころには、値下がり分はすっかり吸収されつくしてしまう。原料に一○%や二○%の値下がりがあったとしても、原料費より加工費のほうが大きなパーセンテージを占めているし、人件費は上がる一方だから、売値には響いてこない。それどころか、消費者が豊かになって高級化志向はますます激しくなっているので、安売りどころか、高い物でないと買ってくれない。となれば、原料の少々の値下がりなど、売値の引き下げに結びついてくる可能性はあまりないと見なければならない。
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