パリだけがフランスではありません

第97回
パリのバー、カフェ最新事情

私はパリ在住ではありません。
ゆえに今回のタイトルにつけた
「パリのバー、カフェ最新事情」は、
実際に自分の目で見た現象ではないことを先にお断りしておきます。
といって以下の話しに確信がないという意味ではありません。

フランスのカフェといえば、
まずパリの光景を思い浮かべる人が大部分だと思います。
それだけパリとは切っても切れない関係なわけです。
その誕生物語は玉村豊男氏の
『パリのカフェをつくった人々』(中公文庫)に詳しいので、
興味のある方はそちらをご参照ください。

その本にもありますが、
フランス中央部のオーベルニュ地方
(ブルターニュ地方と並んでフランス指折りの貧しい地域だった)
出身者がカフェを創設したわけですが、
きつい仕事であることは今も変わりません。
「以前、パリのタバ
(バーやカフェは煙草屋を併設しているところが多く
こう表現される)やビストロ(バーやカフェだが
きちんとした食事も出すところ)を何軒も持っていた主人は
フランス一の精神科医といわれていたんだよ。
なにしろ常連はみんな悩み多きやつらだからね。
バーで一杯やりながらのお喋りは大切な時間だったというわけだ。
でもそのことは今も客にとって変わらないんだけど、
バーやビストロのほうの事情が変わってきているんだ」
と始めたのは
パリの裏も表も知り尽くしたオリヴィエの古い友達ミッシェル
第92回にも登場)。

彼は今パリの外れ20区に住んでいますが、
近所のバーが最近中国系の経営になりびっくりしたそうです。
「僕は移民排斥主義者なんかじゃないよ。
でもね、バーとかカフェはフランス、パリの文化なんだ。
そこで中国系の主人にワイングラスを差し出されても戸惑うわけだ。
話だって根っこの言葉も文化も違うんだから
以前と同じようにはできないだろう。
彼らは精神科医にはなれないわけだよ」
と。
うーん、それももっともかもしれません。

前述の玉村豊男氏の著書は、
1990から92年の取材が元になっていますが、
牡蠣むきのチャンピオンは
サヴォア出身者からアルジェリア系に変わったとあります。
今はパリのカフェのギャルソンもパリッ子でも
マグレブ系の青年の場合が多くなっていると聞きました。
旅行者が憧れるパリのカフェも、
時代と共にその姿を変えているようです。

ところでなぜバーやカフェ経営に中国系が進出しているかというと、
仕事は長時間にわたりきつくても
現金収入の多い「ビジネス」だからだそうです。


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2005年8月29日(月)

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