パリだけがフランスではありません

第92回
「カミカゼ」と「神風」は違うのです

少し前まで、フランスではパレスチナ人の自爆テロを
「カミカゼ」と表現していました。
もちろんこの「カミカゼ」は、
日本の「神風特攻隊」の「神風」から派生した言葉です。

前回ご紹介したドキュメンタリーフィルムを見ていたとき、
たまたまパリから来たオリヴィエの2番目の兄が一緒でした。

特攻隊がアメリカの軍用艦に攻撃を仕掛けている映像がありました。
日本軍は帰りの燃料を積まず(積めなかったわけですが)、
自殺行為に等しい体当たりをしたというような解説がありました。
兄は思わず「カミカゼと同じじゃないか」といいました。

我が家にはもう1人、オリヴィエの古い友人
(歳は75を越えていますが)ミッシェルがいました。
彼はそれに対し
「いや、アラブのカミカゼと日本の神風は違うんだね」
と私に話しの矛先を振ってきました。

アラブの自爆テロはある意味で殉教に等しく、
死ぬ事によって本人が救われるわけです。
一方日本の特攻隊として自爆していった若者は、
少なくとも自分を救うために死を選んだのではありません。
敵とする人々を巻き込み自分から死を選ぶ行為は同じでも、
その根本にある信念はまったく違うわけです。

実はこの違いについての説明は初めてではありません。
以前はオリヴィエもミッシェルもよくわかっていなかったからです。

彼らにとって殉教はわかりやすくとも、
日本人の「国のため」に死を選ぶという心情は
理解しにくいようでした。
国とは自分の親や家族が住むところ。
そんな愛する人々を守るために自ら志願したのだというと、
少しはわかるようでした。
純粋に「天皇陛下」や「国家」のために個人が死ねるのか、
という疑問が常に彼らの中にあるからです。

日本人は伝統的に潔く散る桜に憧れますが、
どんな状況下でも生き残る方がずっと困難かもしれません。

私はそうした極限状況を幸いにも知ることなく
ここまで来られました。
息子たちの世代においても、
悲惨な現実を知ることなくつつがない人生を全うして欲しい…
でも、テロ事件を始め、
アフリカなど世界のあちこちで
今なお理不尽に家族や愛する人を失う人達が大勢いる。
この現実を忘れてはいけないとも思っています。


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2005年8月17日(水)

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