パリだけがフランスではありません

第91回
生の「戦争」を感じたドキュメント

第2次世界大戦が終り今年は60年目。
フランスでも随分それ関係の実写フィルムを編集した
ドキュメンタリー番組が普段より多く放送されました。

フィルムでの記録が可能になってからのことなので、
当然第1次大戦やそれ以降の歴史事実が主です。
ロシアを含むヨーロッパ、あるいは関連の植民地が舞台になります。
ところが7月31日の夜、
フランス2で流れたフィルムはまったく違いました。

フランスでは馴染みのない、
アメリカと日本の太平洋戦争がテーマだったのです。
大部分のフィルムは最近アメリカで発見された
非常に貴重な資料だそうです。
それをフランスのルネ・ジャン・ブイエRene-Jean Bouyerという人が
編集監督し、真珠湾攻撃に始まり広島、長崎への原爆投下から
日本降伏までを綴ったものでした。

映像はアメリカの従軍カメラマンが撮ったものです。
サイパン、硫黄島、沖縄など、激戦地ばかりでした。
当然敵である日本軍の様子は一切ありませんが、
私には大量の爆弾や銃弾の先にいる多くの日本兵が見えました。

サイパンでは
崖から飛び降り自殺をする日本人女性の姿もありました。
岩の上で自決した一家の死体。
沖縄戦では日本人が隠れている穴倉に爆弾が投げ込まれ、
ようやく這い出してきたやせ細った村人の姿もありました。
同時に日本との戦いで負傷し死んだアメリカ兵の
数限りない躯をも容赦なく冷徹に捉えていました。
どちらが正義かなどという問いは無意味だと思いました。

当時は世界中が侵略し、侵略される
大きなうねりの中に投げ込まれていたわけです。
個人の力で何かを変えられるような時代でもなかったでしょう。

しかしなぜ日本では
「捕虜の辱めを受けるより死ね」と教育できたのか。
当時国の指導層は大切な民の命をなんと思っていたのか。
国の方向を決める政治、軍指導部に誤りはなかったのか。

日本は国としてこの時代を客観的かつ冷徹に分析し、
検証する必要があるのではないでしょうか。
国家としてこうした姿勢が欠けているから、
いつまでたってもこの時代を直視できず、
中国を始めとしたアジア各国から
信頼を得られないのではないでしょうか。

現代日本史を専門としている方々に、
ぜひ人間としての目線で
太平洋戦争突入から原爆の犠牲者を出すまでに至った
国としての選択を突き詰めて欲しい。
もしかしたら戦争を知らない世代にこそ
期待できることかもしれない、とも思いました。

そして日本人にとって衝撃的なフィルムを、
フランスで見るなんて、とても変な気がしました。

*このドキュメンタリーには
 10歳以下の子供には不向きの案内が出ていました。


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2005年8月15日(月)

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