第605回
「株は邱さんの推理小説です」
邱さんは昭和35年、
ご自身が36歳の頃に
株について論評する文章を書くようになり、
一躍「株の神様」扱いされるようになります。
その頃、邱さんは小説を書いておられ、
小説の中には推理小説もあって、
『加害者は誰だ』ではなく、
『被害者は誰だ』というタイトルの
短編推理小説集を世に出しています。
小説を書いていた邱さんが、
突如、株のことを書くようになったので、
周囲の人はビックリしたでしょうが、
邱さんと親しい関係にあった
小谷正一さんという人は
「株は邱さんの推理小説だ」とおっしゃったそうです。
そのへんことが
半自伝『私の金儲け自伝』で
次のように書かれています。
「私が株を始める前後に
文壇では推理小説ブームが起こり、
松本清張とか有馬頼義とかいった受賞作家が
盛んに推理小説を書きはじめていた。
推理小説集『被害者は誰だ』は
『宝石』の主宰者である江戸川乱歩さんが、
邱さんはあんな論理的な文章を書く人だから、
お前行って頼んでこいと、
時の編集長を私のところにたびたびよこした結果、
『宝石』に何回かにわたって短編を書いたものである。
それらの短編を集めて本にして出すと
『朝日新聞』の書評欄が
『志賀直哉を思わせるような鋭い文章』
といってずいぶん褒めてくれた。
志賀直哉は日本では小説の神様扱いを受けているから
もちろん褒め言葉に違いないが、
私のような海千山千
(自分でいうのもおかしいが)の人間から見ると
甘やかされて育った坊ちゃんにすぎず、
私はそのことを『日本天国論』で指摘していたから、
妙にくすぐったかった。
しかし、いくら才能があると褒められても
推理小説を机上で展開するだけでは
ものたりなかったので、
私は同じ推理を株式市場で展開することにした。
井上靖の芥川賞受賞作
『闘牛』の主人公のモデルでもあり
また、万博(大阪)で住友童話館と
電気館のプランナーをつとめた小谷正一氏は、
そうした私の動きがわかる人だから
私の神様扱いを受けて、
世間からもてはやされるようになると、
『株は邱さんの推理小説や』と、すぐ言った。」
(「私の金儲け自伝」)
「もしもしQさんQさん」でも
邱さんご自身「株は推理小説を読む要領で」
と書いておられますから、
小谷さんは邱さんの当時の行動を
的確に読まれたということになりますね。
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