第511回
“老後失業の恐怖”はサラリーマンの心に潜んでいます
邱さんは20年前に出版した
『貧しからず 富に溺れず』に
「老後失業の恐怖」について記述されていますが、
この言葉に接すると、深い感慨を覚えます。
というのも、私の場合、
この「老後失業の恐怖」が
邱さんの本を読むきっかけになっているからです。
昭和40年に鉄鋼メーカーに入社した私は
12年ほどの製鉄所での勤務を経て、
昭和52年に本社の勤労部門で仕事をすることになりました。
自分は34,5歳になっていましたが、
本社に勤めるようになると、
ほかの会社との接触も始まります。
たまたま私の所属していた部署の上長が
日経連(現在の日本経団連)で、
ある委員会の委員長になり、
私はカバンもちでその会議に出ましたが、
その会議のテーマが
「高齢化、高学歴化にどう対応するか」で
その中で55歳定年制延長の要請に
どう対処していくかということが
中心の議題になっていました。
そうした議題について
参加各社の論者の意見や論議に耳を傾けているうちに
「サラリーマンって定年を過ぎたら仕事がなくなるんだ」
「仕事がなくなってしまったらたいへんだ」
という恐れが私の頭を支配するようになりました。
私の両親は瀬戸内海の漁師町で
石油卸の商売を始め、
私はそうした環境のなかで育ったのですが、
考えてみれば、両親もその周辺の人たちにも
“定年”というものはありませんでした。
仕事をし続けなければ生活を続けられない
という境遇におかれていたということもあるかもしれませんが、
これはある意味でしあわせな生き方だったかもしれないぞ、
と思うようになりました。
そして、ごくごく素朴に
「仕事がなくなったら、
生活の糧をどうやって手にすればいいのだろう」
「どうして毎日を送っていったらいいのだろう」
という心配が頭をよぎるようになりました。
こうした心配や悩みに対して
ドンピシャリのアドバイスを送ってくださったのが
邱さんの作品だったわけで、
そう思うにつけ“老後失業の恐怖”は
30代や40代のサラリーマンの心にも
潜伏しているものだと思います。
ちなみに、昨年の秋、
人生設計セミナーに参加してくださった40歳前の青年は
「定年で仕事がなくなったあと、
何をメシのタネにすればいいんだろう」
「そのメシのタネはどうやって探せばいいのだろう」
ということに悩んでいて、
サラリーマンの悩みは
不変だなあと思ったことでした。
|