Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第254回
邱さんの年のとり方は私たちの常識を越えています。

去る3月30日邱さんの79歳の誕生会に
出席させていただきました。
この日、邱さんはその前まで入院されていたとは思えない
お元気なご様子でした。
この日の邱さんのスピーチは当日の
「もしもしQさんQさんデス」に予告されていました。

「世の中が大きく変わるところにさしかかっているので、
私も古い物はいくつも捨てました。
そして、次の時代に通用する新しいプロゼクトに
とりかかっています。
バイオの中日合作をすすめる仕事、
石油のオリの処理をする仕事、
ガンに特効のある天仙液のために肩入れをしてあげる仕事、
雲南省でコーヒー豆の栽培をして
中国の来るべきコーヒー・ブームに備える仕事、
化粧品のチェーン店を中国全土に展開する仕事、
上海を根拠地にハイハイQさんの中国語版を
オープンする仕事、
はたしてどこまで実現できるかわかりませんが、
今夜は新丸ビルのモナリザで
60人ほど集まっていただいて
私の見果てぬ夢をきいてもらおうと
胸を轟かせているところです。」

宴に先立ち、邱さんのスピーチが始まりましたが、
これから10個くらいの新しい仕事に取り組みたいと
話されされたときには、
場内からどよめきが起こりました。

邱さんは一つ一つの計画について丁寧に話され、
たいそう熱の入ったものでした。
「花街の母」の作詞者、もず唱平さんが
祝宴の弁に立たれましたが、
「邱先生。もう仕事などなさらないで
ゆっくりと時間を過ごすようにしてください」
というのがもずさんが送られた言葉でした。
もずさんがそう話さずにはおれないほど、
邱さんの話に熱気がこもっていた
ということではないでしょうか。

私は当日台湾からお見えになった
邱さんの2つ年下の妹さん、邱素沁さんと、
5つ歳下の弟さん、堤稔さんと
一緒のテーブルに坐らせていただきましたが、
堤稔さんが「誕生会はいつもでているけど、
今度が一番スピーチが長かったなあ」
と感想をもらされました。
私が手元の時計で確認したところでは
邱さんのスピーチは40分近くに及んでいました。

80歳近くもなれば仕事はしないというのが世の常識です。
しかし邱さんは並みの年寄りではありません。
「年はとっても新しい仕事を開拓するぞ」
という邱さんの姿勢に変わりはありません。
邱さんはこれから先の世の動きに目を見つめています。


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2003年5月8日(木)

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