元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1146回
敬愛する土屋繁裕先生を偲ぶ

49歳の急逝!
われらが敬愛する勇気ある医師=
土屋繁裕さんを偲ぶために、
10月12日のスローヘルス研究会の開催に際して、
僕が書いたメッセージは、以下のようなものです。

          *

◆ 敬愛する土屋繁裕先生を偲ぶ ◆

とても悲しくてつらいことです。
われらが敬愛する、
土屋繁裕先生が、10月8日、急逝されました。
1月まえ、くも膜下出血で倒れられて以来、
そのたくましい生命力で、
何度か生死の危機を乗り越えておられたわけです。
みなさんから寄せられた温かいメッセージは、
介護を続けた奥様によって、
病床の枕元で読み上げられ、伝えられてきました。

先生は、意識の奥底で、
「わかったよ、わかったよ」と、
きっと、うなずいて聞いてくれていたはずです。
「なんでも、あきらめてはいけないんだよ!」
この持論が「土屋繁裕」のパワーであり魅力でした。

まだ49歳の若さです。
じつに、人情味の溢れる医師でした。
「患者にやさしい病院」の建設を実現すべく日々、
努力されていたさなか、夢半ばにしての急逝です。
ほんとうに残念至極。

医療に改革の灯をともそうと、
孤軍奮闘する中でも、
絶えず笑顔を忘れなかった「土屋繁裕」でした。
こころより、お悔やみ申し上げますと共に、
みなさん、ご一緒に先生のご冥福を祈りしましょう。 

なお、故郷・郡山での通夜は
10月11日(火)、
告別式は10月12日(水)が
盛大にとり行われました。
奇しくも、10月12日の夕方は、
この「スローヘルス談話会」の日で、
これは2ヶ月ほどまえに、
土屋医師と打ち合わせして取り決めた日取りでした。

無念なことですが、
10月12日は
“敬愛する土屋繁裕先生を偲ぶ会”
となってしまいましたが、
いや、今晩は、むしろ、土屋先生が遺した
“大切な志と勇気を受け継ぐ会”にしたいと思います。

本日の講演スピーチは、
土屋先生が姉とも慕っていた
エッセイストの逸見晴恵さんが受けてくれましたので、
みなさんで“にぎやかに偲び”ましょう。
これが、あの映画の「寅さん」を愛してやまなかった
人情味溢れる医師・土屋繁裕が、一番、喜んでくれる
手向けの会になると信じています。合掌。
    2005年10月12日
            スローヘルス研究会 関根 進

          *

このメッセージは、同じ日、故郷の告別式でも
先生の秘書の岡田さんによって代読されたものですが、
改めて、お読みいただき、
皆様も、ご冥福を祈っていただければ幸いです。

そして、土屋医師が孤軍奮闘のなかで掲げてきた、
患者本位の治療の理想=
HBM治療(ヒューマン ベースト メディスン)
の灯をたやしてはなりません。
土屋繁裕は、
これからも“希望の星”として輝いてくれることでしょう。
みなさんで、いのちにやさしい「バトンタッチ」の志を
受け継いで行きましょう。


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2005年10月16日(日)

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