国内で生産を続けていたのでは、円高や保護貿易に拒まれて、商売が成り立たなくなったからである。もし日本が工業製品を輸出する代りに農業生産を農業国に明け渡して、国際分業に徹していたら、日本企業の海外引っ越しはもう少しあとに延びたかもしれない。しかし、日本人は工業生産では外国を攻め、農業生産では他国の売り込みに対して防戦する戦略に出たので、結果として最も非効率な農業が国内に残り、最も先端的な能率を持った工業が外国へ出ていくことになってしまった。もっとも日本が外国の農産物に完全に門戸を開放したとしても、農産物の付加価値は工業製品に比べてうんと低いし、オレンジ、牛肉初め、米まで自由化したとしても、それで日本の農業が完全に崩壊してしまう性質のものでもない。それらの農産物のうち、かなりの部分が輸入品によって占められるようになったとしても、日本の貿易収支の黒字基調に変化が起るようなことはないだろう。
とすると、アメリカが日本に対して「アンフェアだ」と因縁をつけることはできなくなるかもしれないが、それでもなお黒字基調が解消しないとすれば、対日批判はますます激しくなり、日本の企業は国際貿易のアンバランスを軽減するために、やっばり現地生産に切り換えなければならなくなるに違いない。したがってモノと力ネの移動が自由化されたあとの次のステップは、自由貿易ではなくて、「ブロック単位の自給自足経済」ということになる。それも、国とか、ブロックによって推進されるのではなくて、企業がその存亡をかけて行動した結果がそういうところに落ち着くということである。
もしそうだとしたら、国の利害と企業の利害はますます一致しない方向に向っているといってよいだろう。むろん、個人や私企業の利害はいつの時代でも、国や君主の利害とは必ずしも一致していない。昔々は、国が絶対的な権力を持っていたから、私企業は国の庇護を受ける代りに、その要求や方針に従うよりほかなかった。もしどうしても従えない場合は、商売をたたんで外国へ移住するよりほかなかった。その点は今も昔も変わらないが、今は企業の多国籍化が普及し、中小企業が二つ以上の国に支店を持ったり、別会社を持ったりして、
自分に有利な事業の展開ができるようになっている。どこの国にするかは、投資をする人が投資先を選択する場合の与件みたいなものであって、どこが有利か、どこで商売すればどんなメリットがあるか、自分らで判断して選択をすることができる。もしAの国で税金が高すぎて、せっかく稼いでも税金でそっくりもっていかれるようなら、もっと税金の安い国に生産の主力を移すこともできるし、Bの国が政情不安とか、外貨不足で、思うように生産がはかどらなかったり、生産した物が売れなければ、工場を売り払ったり、設備ごとほかの国に移すこともできる。国によって企業の扱い方が違うとなると、逆に企業のほうで、国の選択をすることになる。したがって企業の立場からみると、「国家主義」はすでに過去の存在となりつつあることがわかる。
|