さて、工業の発達がもたらした過密と過疎は、都市と地方のあいだに大きな差をつけたが、なかでも最もきわだっているのが地価であろう。スミスの時代には、地代といえば、農地がもたらす富のなかで、地主の取り分になる部分のことであった。それは土地が肥えているかどうか、あるいは消費地である都市に近いかどうかで、高い低いの差がついた。ところが工業社会に変ると、都会地に集中的に人口が集まったので、東京およびその周辺と地方とでは、地価に大きな差がついてしまった。
工業によって生み出された富の分配については、日本人はほとんど社会主義を実施したのではないかと思われるほど平均化させることに成功したが、工業の発展によって人口が都市に集中したために、過密地帯では、東京の都心部のように地価が坪当り一億円以上といった暴騰をしたところもあれば、島根県とか、鳥取県とか、あるいは秋田県や青森県の山の中のように土地に家までつけて売りに出しても買い手も現われないような、財産価値のないところもあるようになった。また東京郊外の小田急線沿線や田園都市線のように、坪当り一〇〇円もしなかった土地が一〇〇万円になってしまったところもある。
三十年間に一万倍にもあがる土地もあれば、昔と大して変らない土地もあるとすれば、工業は日本人に大金持ちになるチャンスをあたえたが、同時に貧富の新しい差をつけたことにもなる。しかし、それがわかったのはずっとのちになってからのことであり、日本人が工業に手をつけたときは、はたしてそれで成功できるものかどうかさえ見当がつかなかったのである。
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