第447回
気安く使っている「シェア」の意味
いままで私はこの「シェア」という言葉を
曖昧に使っていたかもしれません。
客側である私と、店側の考えである「シェア」の意味が
厳格に一致していないかもしれないなと、
あるイタリアンの店主のHP発言を読んで感じたのです。
私は、「シェア」は単に
「分けて食べる行為」と考えていたのですが、
厳密に訳したのでしょうか、
厨房で人数分分けて出してくる、
またはテーブルに取皿を用意する、ということだけと
解釈されているようでした。
山本益博氏は以前、
テーブルで同伴者の違う料理を食べあうのはけしからん、
全員同じ料理を食べるべき、と力説していました。
最近はそのような教えは言われていないようですが。
厨房で取り分けてもらわなくても、
取皿を用意してもらえれば客としてはありがたいことです。
反面、店側は面倒が増えてしまいます。
しかし、私が安易に「シェア」するというのは、
客がテーブルで勝手に同伴者同士分け合う、
といった意味も含んでいたのです。
厳密に言うと、
端から見ればお行儀の良いことではないかもしれませんが、
他のお客に目立たずそっとすればいいかな、と
ポーションが大きい場合などは
グランメゾン級の店でもやる場合があります。
自分で切ってさっと隣の人の皿へ載せれば
そんなに見苦しいことではないかなと思っております。
以前のコラムで述べた「ローブリュー」。
取皿などを要求しなければ問題ないと考えたのですが、
店側は誰が何を食べるのか明確に把握し、
その客の前にその料理を置くことに拘っておりました。
店側の労力が増大するから嫌がるのではなく、
フレンチでは人の皿には手出しをしない、といった
偏った考えに拘っているので、
かなりの客がこの「シェア問題」で
店側と気まずい経験をしてしまったようです。
「ダノイ」でも増量して取り分けるのに、
シェア客には500円追加費用が必要とのことでしたが、
グループが2人と4人では
増やす量が異なるのではないでしょうか。
同じ500円でカバーできるのか、
また、増量を断った場合はどうなるのか。
そして、私の考えていた
テーブルで客が勝手に食べ分ける「シェア」の場合はどうなるのか、
この辺の解釈は一度はっきりしておいて方がいいかもしれません。
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