月に二十万円も三十万円もローンを払うとなると、サラリーの大半が支払いに消えてしまい、生活がやっていけなくなる。だから夫婦共稼ぎをして、一人分のサラリーをローンの返済にあてる人が多いが、もし稼ぎ手が一人だけとなると、一生の間に稼いだ収入の約半分がローンの支払いに消えてしまう勘定になる。
むろん、高いマイホームでも無理算段をして借金を返済してしまえば、それだけ財産になるからよいが、財産になるといっても自分たちで住んでいるだけだから、収入につながっているわけではない。
それならば、良い環境で、スペースのあるマイホームを安く建てて、サラリーそのものは東京も茨城もそう大した違いはないから、「職」を捨て「家」を中心にモノを考える方向へ発想を逆転させることも可能である。どこに住むのが自分にふさわしいかまず考えて、職はそれに見合ったものを探すのも、確かに一つの生き方なのである。
ただし、マイホーム主義に徹すれば、出世とか、お金とか、社会的地位は二の次になる。そんな欲も野心もない人間はつまらないと思う人もあるかもしれないが、野心があったところで、人間は自分のやりたいことの十分の一も実現できるものではない。まして普通の人間は、小さな望みだけで結構、楽しく生活してゆくことができるのだから、いっそ、「野心」と名のつくものは一切、捨ててしまうということも考えられる。こういう生き方は意外にストイックなもので、欲を自らの手で断ち切るという意味で、いまふうの「菜根譚」的生き方ということができる。
それに比べると、マイホーム主義にも徹せず、かといって野心家としてのスケジュールも持たず、毎日、三時間も四時間も電車に揺られている人は、かえって始末が悪い。なまじ世俗的な欲望も絶ち切れず、かといって、野望を実現することもできずに終わる公算が強いからである。
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