| 第134回女とダイエット(その一)
 日本の女たちは痩せすぎだ、という話は『痩せ女、大っきらい』(第55〜57回)ですでに書いた。
 わが家の次女もその痩せ女の典型で、
 危機感を感じた私は、
 耳タコになるくらい「もっと食え!」を連発しているのだが、
 いっこうに食ってくれる気配がない。
 小さなめし茶碗で半量ほど食べると、
 「ウップ、苦しい、もう死ぬ」などと泣き言をいう。
 それでいて、数分後にはスナック菓子をポリポリやったり、
 アイスクリームを口いっぱい頬張っているのだから、
 女ってやつはわからない。
 70年代を代表するアメリカの歌手にカーペンターズがある。グラミー賞を三度も受賞するという人気歌手だったが、
 妹のカレンは拒食症に苦しみ、わずか32歳で逝ってしまった。
 十代の頃のカレンは163センチで66キロ。
 ややぽっちゃり型の体型であったが、
 その後55キロまで体重を落とし、
 目標体重の48キロまでは目前かと思われた。
 ところがダイエットは次第にエスカレート、
 食べては吐き、吐いては食べるを繰り返し、
 ついには食事をまったく受けつけない身体になってしまった。
 医者にかかった時は体重が36キロ。
 まさにガリガリの骨と皮状態であった。
 テレビや雑誌を見ると、ファッションモデルみたいな痩せ女であふれている。
 つい最近まで、日本女性といえば
 胴長短足と相場は決まっていたが、
 近頃めっきり、脚の長い女がふえてきた。
 しかし奇妙なことに、
 揃ってモデルのような体形をめざしているためか、
 貧血で倒れてしまいそうな痩せ女ばかりなのである。
 モデルはたしかにかっこいい。
 が、あれは人工的に作られた美で、
 どう見ても不自然だし不健康だ。
 「痩せていること」と「美しいこと」は
 決してイコールではないのである。
 私は「美人だけど短足」と「醜女だけど足長」のどちらかを選べといわれたら、迷わず後者を選ぶ
 (注:女房の話ではない)。
 美脚フェチなのだ。
 が、いくら美脚でも、
 脂の抜けた鶏ガラみたいな脚では興ざめだ。
 私はいつもこう思っている。
 「女性美は太ももに在り」と。
 あのむっちりした太ももにこそ女の本質があって、
 ポッキーみたいな細い脚に
 フェティシズムを感じる男などどこにもいない。
 痩せたい願望の女たちよ!
 ダイエットビジネスの口車に乗せられっぱなしの女たちよ、
 「痩せ=美しい」は幻想なんだと、
 いつになったら気づくのだ。
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