第55回
痩せ女、大っきらい (その一)
レスリー・ホーンビーという名の女性をご存じか。
60年代に空前のミニスカートブームを巻き起こした
伝説のスーパーモデルである。
通称ツイギー。
ツイギーとは“小枝のような”という意味で、
なるほど手足は小枝のごとく細く、
胸などはサラシをきつく巻きつけたみたいにぺったんこであった。
どうせミニをはいていただけるのなら、
はち切れんばかりの太もも出血大サービスと願いたい――
助平な男どもは例外なくそう思うが、
ミニの申し子なる者が小枝のような小娘ではがっかりである。
太め好みの私などは、
「(ポパイの恋人の)オリーブみたいな痩せ女が
ミニをはいたからといって、
それがいったいどうしたっていうの。ねえ、おせーて?」
と、なぜか新宿二丁目界隈の
怪しげな“おネエさま”口調になってしまう。
ハッキリいうが、
針金みたいなあんよを拝ませてもらっても
ありがたくもなんともないし、
勃然とナニが兆してくるわけでもない。
おデブちゃん好きの私には、
針金女はどこか人間離れした存在にしか思えず、
少しも女のフェロモンを感じることができないのである。
多くの男たちは私に共感を寄せてくれると信じているが、
女の見方はまったく違っていて、
はたせるかなこの“ツイギー旋風”が
彼女たちに与えた影響は大きかった。
いや影響などという生やさしいものではない。
実際はトラウマになるくらいの心的外傷を
日本女性の心の裡に残していったのである。
そのトラウマは「痩せは美しい」
という、ろくでもない信仰であった。
わが家の娘たちがまだ幼かった頃、
食卓での私の決まり文句は「早く食え」だったが、
近頃は「もっと食え」に変わった。
十代といえば育ち盛りで、
男なら丼めしの二、三杯は軽くいける年頃である。
ところが娘たちときたら、
父親に似て上品に生まれついてしまったのか、
小さなめし茶碗に半量くらいしかよそわない。
「今の時期にしっかり食べて丈夫な骨を作っとかないと、
年取ってから大変なことになるんだぞ。
ええ、おい! 聞いてんのか?」。
おやじが一声二声吼えても馬耳東風。
まったく聞く耳をもたないって風。
これは明らかに“ツイギーの祟り”で、
日本の女たちはまたまた未曾有の国難にさらされているのである。
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