第133回
小林秀雄の不肖の弟子
私は学生時代、小林秀雄ばかり読んでいた。
あの「Xへの手紙」や「無常といふ事」
「考へるヒント」などで知られる文芸評論家の小林である。
小林の作品は、世間一般には難解とされているが、
私は一度もむずかしいと思ったことがない。
私は人一倍勉強好きなものだから、
大学は四年で卒業できるところを五年もかけて卒業した
(ものは言いようだ)。
専門はお堅いドイツ文学。
だがドイツのドの字も知らず、小林秀雄ばかり読んでいた。
大学五年間は、結局、小林秀雄で暮れてしまった。
小林秀雄の全集を買い込み、
丹念に読んでいくだけでたいへんな日時を要する。
あっという間に五年十年は過ぎてしまう。
なにしろ小林という大木は枝葉を大きく広げていて、
その枝の一つ一つが限りなく太い。
小林を読めば、
小林が惹かれたドストエフスキーやチェホフ、
ランボオやサント・ブーヴ、
はてはモーツァルトにゴッホ、ベルグソンと手を染めねばならず、
果てしがない。
また河上徹太郎や中村光夫、中原中也に富永太郎、
さらには青山二郎、白洲正子などとの交友があったとなれば、
場合によっては活字を離れて
骨董の世界にまで出向かなくてはならない。
これではいくら時間と金があっても足りない。
私の貧しきアパートは、たちまち本で埋め尽くされてしまった。
小林秀雄のどこがいい、と聞かれても困る。
もちろん意志力を感じさせる硬質な文体がいいし、
啖呵売のような威勢のいいリズムもいい。
また、青春の一時期、中原中也の恋人を横取りした、
なんてエピソードも人間くさくていい。
また、戦後すぐの座談会で、
先の大戦に関して
《僕は無智だから反省なぞしない。
利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか》
とうそぶいた点も気に入っている。
反省だとか自己批判だとか、
人はいつでも自分の過去を他人事のように語ろうとするが、
それがまやかしであり自己欺瞞であることは自明で、
そんなおしゃべりにつき合う義理などない、
と小林は言っている。
いずれにしろ私は、
小林秀雄という強烈な毒をもった精神にガツンと一撃を喰らい、
ぐうの音も出ないほどにやっつけられてしまった。
これこそ幸福な読書体験というべきもので、
私は今でも、不肖ながら小林秀雄の弟子を任じている。
小林の墓は、駆け込み寺で知られる鎌倉の東慶寺にある。
苔むした小さな五輪塔が墓標である。
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