第389回
どうすれば≪希望≫は叶うのか?・2
希望とはどうすれば叶うのか?
いま流行の≪希望学≫のように、
ただ社会構造の分析をしても、
希望達成の答えにはならないのではないか?
いま発売中の月刊「むすび」誌12月号の
連載コラムの話の続きです。
*
長年、正体不明のガンと
付き合ってきた僕などにしてみれば、
「希望」という精神現象を
ただ頭でっかちな機械的な手法で分解しても、
多くの患者の悩みを救えるとは、とても思えないからです。(略)
希望、いのち、そして人生を語る場合、
≪人間機械論と人間全体論≫≪二元論と一元論≫、
つまり≪西洋思考と東洋思考≫の間には
大きな差があります。僕の闘病経歴の中での≪希望学≫とは、
あくまで人間機械論ではなく
≪人間全体論≫の立場であります。
僕はしつこいガンと付き合う中で
「希望こそ良薬 あきらめは毒薬」という、
いのちのキーワードに辿(たど)りつきました。
なんとしても調和的に「いのちを掴もう」――
拙著「ガンを切らずに10年延命」(増刷8刷)にも書いたように、
玄米菜食や薬食同源法、呼吸法などを継続励行して
≪希望力≫を磨いてきたわけです。
それも主治医であり、
ホリスティック医学(全体医学)の先覚者である
帯津良一博士の考え方に強く影響され、
エンパワーされたからでした。
「希望在心中 生命在脚下」――
これが数万人のガン患者と共に
苦楽を共にしておられる帯津医師の
ホリスティック(全人的)な発想法の原点です。
決して、ただ機械的に、科学的に分析すればよし・・・
といった単純化、即答化された「希望学」ではありません。
その人間の生き方を丸ごと見る「いのちの実践希望学」について、
次のように語っておられます。
「心の養生のなかで、一番大事なのは『ときめき』だ。
ときめきは、自然治癒力を喚起したり病を克服してくれる
大事な心の状態で、そのためには、
何事にも感動する心をもつことが大切。
固定観念にとらわれず、諦観することもなく、
好奇心を忘れない。そして常に感謝の気持ちを忘れない。
ときめくことがいつまでも続くと、
人は放っておいても明るく前向きになって、
こうして得た明るさや前向きな気持ちは、
哀しみから出発しているだけに、
いつまでも有頂天になることなく、
また哀しみに帰る。
ここに、心の循環というのができあがる。
≪哀しみ、希望、ときめき、明るく前向き、哀しみ≫
という流れの中で我々は、
大いなる命の循環の駒を進めていくのがよい」
*
(以下明日に続きます。)
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