ガンを切らずに10年延命-関根 進

再開!元週刊ポスト編集長の目からウロコの体験秘話!

第388回
どうすれば≪希望≫は叶うのか?・1

いま発売中の月刊「むすび」誌12月号の
連載コラム「いのちの玄米菜食」で
「希望とはどうすれば叶うのか?」という
話を書きました。

「ガンを治したい」
「願いを叶えたい」
「幸福になりたい」・・・
しかし、この不透明で先行き不安な世の中では、
なかなか思うようにいくものではありません。

というわけでしょうか?
いま≪希望学≫という社会科学からの
研究が注目を集めているようです。
これは「希望とは個人の性格や感情としてだけでなく、
社会の産物として考察すべきものだ」という
学究の立場のようです。

しかし、ガンやいのちの問題ばかりか、
経済も政治も一寸先は闇・・・といわれる中で、
そうした機械論的な分析だけで、
希望の達成が叶うものなのか? と疑問に思い、
日頃から、僕が考えている、
「運と縁と希望学」という3題話を書いたのです。

まだ、読んでいない人も多いでしょうから、
抜粋しながら、これからの希望達成のヒケツについて
ちょっと考えてみたいと思います。

               *

●いま流行の「希望学」にもいろいろある――

≪希望が知恵をもたらし、
知恵が縁を広げ、縁が運を呼ぶ!≫

若者の自殺者が増えるばかりか、
長寿難病の高齢者の孤独死や
家庭内殺人が起こる・・・、
なんとも前途不安な世の中を反映してのことでしょう。
いま≪希望学≫という新たな学問が
持て囃されているといいますから、
ちょっとびっくりしてしまいます。

「希望の格差はなぜ起こるのか」
「金銭的に豊かでもなぜ希望が持てないのか」
という命題を掲げ、
「個人の性格や感情としてだけでなく、
社会の産物として希望を考察していく」と定義づけて、
一流大学の社会科学者の先生たちが
鳩首を集めて研究分析しているということが、
先日、テレビで報道されました。

別に悪い研究とはいいませんが、この複雑混迷な時代です。
人生やいのちの意識領域の難題を
なんでも分析化、善悪化、二元化して、
それこそいま流行りの即答化、単純化させてしまう傾向は
ちょっと心配だなあ・・・と僕は思っています。(略)

               *

続きはまた明日。


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2009年12月9日(水)

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