第380回
続・70歳からのデビュー小説
僕の先輩編集長・西村眞さんの
《70歳からのデビュー作》とうたった
短編小説集「東京哀歌」の感想の続きです。
ちなみに、インターネットのBOOK通販サイトには
「いま60歳、70歳を迎えた長い余生を迎えようとする
60歳代の団塊世代から70歳くらいの方々」が
読むべき青春小説といった
うたい文句で紹介されています。
人生50年を「東京初代」
(上京してきた東京一代目世代)として
過ごしてきた、今の60歳、70歳世代に、
その青春のアイデンティティ(存在の意味)を問うた、
おそらく、はじめての《同時代小説》ではないか――、
この作品を読み終わって、僕はそう感じました。
というのは、いつも不思議に思っていたのですが
近現代文学史を紐解いても、
西村さんたちの1939年生まれ、
僕の1940年生まれの世代からは、
有名な純文学作家は輩出していなかったからです。
僕たちの世代の前には
大江健三郎、野坂昭如などの戦後派が出ました。
僕が早稲田大学に入ったときは、
上級生に大藪春彦、寺山修司がいました。
そして、やがて、後ろの世代からは
村上春樹、村上龍などの新世代派が生まれたのですが、
1939年・1940年生まれは
ぽっかりと穴が開いていました。
僕にしてもそうですが、
幼児期に空襲・砲火に追いまくられ、
物心ついた少年期はアメリカ軍の占領下で
「ギブミ―・チョコレート」と浮浪した時代です。
おまけに、大学生のときには日米安保闘争に揉まれ
いま70歳前後の世代とは、
自分たちのアイデンティティを確かめる余裕もなく
大抵が高度経済成長の先兵として爆走したことになります。
ですから、この世代には作家を醸成する
土壌がなかったのかも知れません。
もちろん、同世代にも
大学の頃から作家を志望する者はたくさんいました。
しかし、時代を掴むような小説家は出ませんでした。
いつまでも同時代作品を読む機会がありませんでした。
ですから、こんどの西村眞さんの作品は
ぜひ、高度成長を支えてきた60歳、70歳の世代に
読んで貰いたいと思っています。
その洒脱な文章から、僕は、永井荷風の耽溺や
檀一雄の無頼の匂いをかぎ取りましたが、
読んだ人に、あの懐かしい時代の
青春の《息吹と躍動》を思い起こさせることは間違いありません。
ちなみに、この本の帯には
文芸評論家の粟津則雄さんの講評が
掲載されていますが、
戦後文学史の“空白”を埋める作業の秀作として
多くの批評・書評が現れることを期待してやみません。
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