第360回
僕の年齢は《40億70歳》
あなたの年齢は漫然とした50歳ではなく
「40億50歳」と考えれば、死生観が変わってきて、
人生後半も納得した希望に満ちた人生が
送れるのではないかという話の続きです。
ところで、ベストセラー「大往生」の著者・永六輔さんの
第2弾に「二度目の大往生」という新書があります。
その講演集を読むと
「生命の始まりは35億年前であり、
寿命は生まれ歳に35億年を足して考えると、
死や人生の考え方が替わって来る」と述べています。
面白い発想です。
つまり、永六輔さんや帯津良一博士、
そして、フランスの生物学者の伝を借りれば、
「35億50歳」とか
「40億50歳」とか
「150億50歳」とか、
こうした生物年齢で己のポジションを
ダイナミックに考えてみると、
長寿難病時代の処世学も死生観
も変わってくるというわけです。
いまや誰でもが80歳、100歳
いや120歳まで生きる可能性を持っています。
大往生の境地に至るまでに、
より大きな命のモノサシで、
わが命、わが後半生について、
しっかりと考えるべき時代がきたと思います。
まえにも書きましたが、
僕の主治医の帯津医師は科学者らしく、
仏教で説く輪廻に想いをめぐらしつつ、
わが命もビッグバン=宇宙創生の150億年を駆け巡る
生命エネルギーの旅なのだろうという持論を
著書に書いておられます。
わが命は宇宙自然の中の小さな命――
その大宇宙を神とか
サムシンググレートと考える人もいます。
しかし、僕は、もっと優しく
「懐かしさに帰る」ことだと思っていますから、
「母なる大宇宙」がいいのではないか?
人間は大きな命に包まれた温かさを覚えるのではないか?
母に抱かれた赤子のような気持ちになるのではないか?
僕自身、“わが命は40億60歳”
そして“40億70歳”と思って、
宇宙自然エネルギーの一体化の発想に目覚めたとき、
あれだけ不安で仕方なかったガン闘病法が、
じつにゆったりとしたものに変わってきたわけです。
「大いなるトキメキの養生法」=
死も恐れぬ希望に満ちた処世法とは
こんな感じではないか?と思っているわけです。
あなたはどう考えますか?
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