第252回
なぜ、ガンの"美談"が多いのか・4
ガン闘病記事は、なぜ“美談”が多いのか――
という話をもう少し続けましょう。
記事を報道する側も、
医師法や薬事法に対する配慮、
さらに医師と患者の双方からのクレームを配慮するが故に、
いきおい、記事構成が“美談化”するのは、
ジャーナリストの端くれにいた者として、
わからないことではありません。
しかし、問題の根源は、多くの報道の構成が、
西洋医学一辺倒、手術至上主義に寄り添った
≪医術礼賛≫に止まっていることにある・・・
僕は、そう思っています。
いやー、あんたは、
手術せずにいのちを助かった患者だから、
そんな事を言っている・・・、
だから西洋医学ではなく
東洋医学がよいといいたいのだろう・・・
と邪推する向きもあるでしょうが、
ガン治療に関する考え方と選択肢とは、
西洋医学礼賛ばかりに止まる必要はないでしょう。
選択の自由はいろいろあってよいものだからです。
医師は医業経営が生業です。
ですから、己の医術自慢をし、
「ガンは手術で完治する」
「化学劇薬で完治する」という
西洋医学一辺倒の治療選択が
ベストだというのは当然のことでしょう。
しかし、マスコミはもちろん、
いのちを助かりたいと願う患者が、
自分の判断を棚上げしてまで、
無理に≪医師の論理≫に阿る(おもねる)
ことはないと思います。
ずばり、ガンと闘っている生身の患者にとっては、
洋の東西を分ける医学論争、
いや医術・医業論争など、
どうでもよいことなのです。
西洋医学であろうと、東洋医学であろうと、
はたまたそれを合わせた
統合的な医学であろうと、
患者は≪いのちが助かればよい≫――、
極論かも知れませんが、
これが最大の患者の願いでしょう。
現実に僕の周りの同輩が、
手術と化学劇薬でバタバタと、いのちを落としています。
あなたの周りではどうでしょうか?
この情報過多時代ですから、
西洋医学も東洋医学も絶対完璧であるなどとは
多くの人が信じてはいないと思いますが、
とにかく≪元気で長生きができればよい≫・・・
これが最大の願いであることは間違いありません。
ですから、ガン治療と報道には、
患者の複雑な気持ちを汲みあげた
複眼的といいますか、
複合的な発想がますます期待されているわけです。
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