第251回
なぜ、ガンの"美談"が多いのか・3
“医術礼賛の美談”が、
ガン闘病記事として、またドキュメントとして
巷には溢れかえっているというのに、
現実には、どうして
ガンで亡くなる患者が増えていくのか?
その話の続きです。
たとえば、≪医術礼賛とガン完治美談≫の
テレビ特番などを見ていると、
「日本人医師の技術は世界最高です」と
医師が内視鏡手術の最先端器具を見せながら、
その医術を自慢し、
患者が「わーっ、凄い進化ですねェ」
「手術を怖がることはありませんね」と
絶賛するシーンで構成されています。
しかし、以後、その患者がどう延命したかといった
いのち丸ごとを追跡する番組は殆ど見たことがありません。
そして、残念にも患者が亡くなってしまうと、
こんどはどうでしょうか?
多くのマスコミは
その矛盾を深く追求しないばかりか、
またまた話を飛躍させ、
ガン闘病を美談化させてしまう傾向があります。
「ガンはやはり不知の病だった」
「患者さんの苦痛の闘病生活は素晴らしかった」
「勇気ある死だった」などと、
≪ガン病棟の真実≫から目をふさいでしまうのです。
こうした毀誉褒貶の記事を読んでいると
≪おいおい、手術が終わった=完治だなどと、
ガンってそんなに生易しいものではないのだゾ≫
≪医師が医術の“成功”を
自慢したがるのは分かるにしても、
やがて、再発や転移の危険にさらされて
いのちを落とす患者までが、
手放しで喜んでいてよいものなのか?≫
≪医師はもちろん、記者も一度、抗ガン剤の
激しい副作用を体験してみたらどうですか?≫
と一言申し上げたくなるのは、
ひとり、僕だけでしょうか?
もし、報道の比重が≪医師の論理が第一で、
患者の気持ちを二の次≫とする・・・
そうした安易な≪ガン美談記事≫作りが、続くとすれば、
ますます悩める患者を “騙す”結果になってしまう・・・
僕は、1人の患者として、そう感じているわけです。
これからは≪医師の技術の礼賛報道≫
に止まるのではなく、
どうしたら患者が元気延命を得られるか?
≪患者のいのちの延命報道≫に、
マスコミの労力が果たされることを期待してやみません。
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