ガンを切らずに10年延命-関根 進

再開!元週刊ポスト編集長の目からウロコの体験秘話!

第178回
<無意識ではなく、不意識に平静を保つ>

突然、丹波の銘酒「小鼓」の酒造元の会長である、
西山裕三さんから送られてきた
「河童芋銭----小説小川芋銭」を読んだ話の続きです。

たしかに、僕の母方の祖父で作家の沖野岩三郎と、
西山さんの母方の祖父で画家の小川芋銭は、それぞれ、
明治・大正・昭和の同時代に活躍した異色のクリエーターでした。

二人とも、初期社会主義のリーダー・
幸徳秋水という天才的論客の影響を受け、
ときの軍閥強権政治に抗し、生涯、<社会の不正>を憎み、
来るべき<民主社会の実現>を
夢見て創作を続けてきた根っからの自由人だったと思います。
お互いに、詩歌や俳句の流派も違い、
信じる宗教も違って、直接の親密な交遊はなかったようですが、
ちょっと調べてみると、1927年(昭和2年)頃、
菊池寛によって編纂された、
「小学生全集」全80巻(興文社 文藝春秋社)にも、
多くの作家・画家と共に、とうぜん、二人も名を連ねています。
(沖野岩三郎は小学生全集 初級用 第16巻 日本文藝童話集に、
小川芋銭は小学生全集 初級用 第23巻 児童漫画集に。)

ともあれ、僕は、わが祖父の過ごした
窮屈な時代の背景に思い浮かべつつ、
同じ明治・大正の自由人として活躍した
小川芋銭の70余年の生涯を「おかしな縁」を感じながら、
楽しく読ませてもらったことになります。

さて、画家で俳人の小川芋銭とはどんな人だったのか?
明治41年に出した芋銭の漫画漫文集「草汁漫画」の序文で、
幸徳秋水が次のように評しています。
<我れ芸術に通ぜず、絵事を知らず、
而も甚だ芋銭子の画を好む。(略)
美を持って貴族富豪の奴僕となすを肯んぜざるものは
芋銭子なり、・・・
其大筆の向う所、神なく、金なく、権力なく、
法律なし、奔放不羈(ほんぽうむぎ)にして無疑自在なり>
つまり、謀反も解脱も自在の人と評しているのです。
ま、もし、興味があれば、西山裕三さんの母方の祖父に当たる、
「自由」にして「純粋」な逸材画人を描いた
「河童芋銭----小説小川芋銭」を読んでみてください。

さて、僕がこの本でもうひとつ興味を抱いたことがあります。
それは、病魔と闘いつつ、
70歳過ぎまで気丈に生き抜いたパワーでした。
生まれながらにして「三つまで生きられれば・・・」といわれ、
間歇熱(マラリアの古名)に悩まされ、
とくに中年以降、痔疾、腸疾患、吐血、脳貧血、神経痛、
そして閉尿閉便・・・
百病併発を背負いつつ、佳作秀作を書き続ける。
そして、大作「河童百図」の制作のめどが立つ70歳の頃、
自らの健康法について書いているのが面白い・・・。
これがまた、実に自在なのです。

<私は性来薄弱の質だが心身を徒労していないので、
弱いなりに格別浮雲(かくべつあぶ)なげない、
養生すれば天寿を保つと言はれた。
それに私は一種の神仏を持っています。
固(もと)より信仰して何かご利益を願ふなどといふ
さういふ神仏ではありません。
つまり生活より自然意識した宗教的な意味を信じているのです。
其為め我身の順逆を絶対者に任せて余り意に介しないのです。
さうした無意識ではなく不意識に心の平静を保つといふことが
健康法になると心得てゐます。(略)>

人生を自在にした人は
心身のバランス健康法も自在に工夫できえる達人だなあと
僕は読んで、しきりと、エンパシー(共感)したものでした。


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2009年5月13日(水)

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